大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

私の運動史(連合静岡時代 その15)

2016年04月05日 | 労働者福祉
国民の政治不信は高まり既存政治に辟易とした有権者の心をわしづかみにしたのが減税日本の「河村たかし」氏でした。
愛知県知事選挙・名古屋市長選挙・名古屋市議会解散住民投票でのトリプルショックは強烈でした。
11年2月6日ブログ2月7日ブログ
「大阪維新の会」や「減税日本」が着々と根をおろしているさなか、なんと16人もの比例選出議員が民主会派の離脱騒ぎを起こします。
そして静岡では、県都の静岡市長選挙に「海野とおる」氏が減税日本をバックに立候補を表明します。
どこか全体の歯車が狂い始めました。
2月17日ブログ3月2日ブログ

3月11日、あの巨大地震が発生しました。
おそらくあの地震がなかったら「海野とおる」氏は市長選に勝利していたでしょう。
しかし「減税日本」の風は、名古屋市議選では吹き荒れました。
3月14日ブログ
川勝体制を支えるために連合静岡は、静岡県議会選挙で「推薦」基準に加え「支持」基準も導入し、県内31名の支援をしましたが、残念ながら「民主党・ふじのくに県議団」の勢力は選挙前の26名から20名に減ってしまいました。

「菅首相」辞めるべしという声が日増しに高まり、民主党内部からも公然と起こり始めました。
それでも最悪の内閣不信任案は否決されます。
菅首相が退陣表明をしたのはそれから2ヶ月先の8月のことでした。
そして次期代表をめぐって5人が立候補を表明し、代表選挙が行われます。
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(つづく)