大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

私の運動史(連合静岡時代 その16)

2016年04月06日 | 労働者福祉
民主党代表選挙の混戦を制したのは「野田佳彦」氏でした。
菅内閣末期の支持率は15~16%でしたが、野田内閣は60%近くまでの支持率を得て、まずは無難なスタートを切ります。
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年が明けて2012年1月より、連合静岡ではエネルギー問題を考える「連合エネルギー政策PT(静岡版)」を立ち上げ、7月までの間に6回の学習会を行いました。
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国会はねじれにねじれて参院で野田首相問責決議が行われ、国民不在の政治闘争の様相を見せ始めます。
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崖っぷちに立たされた民主党、総選挙も間近いとみられます。
連合静岡政治センターでは、県内衆院議員8名との対話会を行い、それぞれの思いのたけをぶつけ合いました。
そして11月14日、国会の党首討論で野田首相は衆院の定数削減を行うことを安倍自民党総裁に約束させ、衆院を解散します。
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12月16日、民主党は歴史的惨敗を喫します。
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来年(2013年)の通常国会で定数削減を行うと約束した安倍首相ですが、政治家は嘘をつくのが商売だということを野田さんは失念していました。
こうして悲願であった民主党政権はわずか3年で幕を閉じました。

翌年の「静岡県知事選挙」で川勝県知事の再選と「第23回参議院選挙」榛葉参院議員の当選を見届けて、第24回連合静岡定期大会(13年10月)で私は連合静岡会長を退任します。

短くも長い「政治・政策機能」の物語をこれで終わりますが、政治は今も大きく動いています。
アメリカの大統領選挙では共和党トランプ氏や民主党サンダース氏という反主流派ともいうべき候補者が善戦しています。
その力の源泉は、国民の怒りです。
怒りがあっても政治をあきらめていたならばこうはなりません。
私たちも怒りの気持ちを大切にして、決して政治をあきらめないようにいたしましょう。

次回からは「組織対策」について語ってまいりますが、16回の連載でぐったりしていますので、少々の回復時間をいただきます。
私の運動史「第1部」のご愛読ありがとうございました。


(「第1部」終了)