大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

私の運動史(連合静岡時代 その14)

2016年04月04日 | 労働者福祉
2009年7月6日に川勝平太県知事が誕生し、8月30日には悲願の「政権交代」も成就します。
連合静岡では民主党政権に大きな望みを託し、民主党県連に総支部主催の「政策会議」開催を求め、09年12月より各地で開催されていきました。
この政策会議は、民主党県連や地方議員や地協の仲間とともにつくりげる地域ごとの「政策研修会」というイメージです。
さらに2010年1月には「連合静岡政治連盟」を立ち上げ、個人献金の受け入れ窓口とし、初年度はみなさんから134万円余りの献金をいただきました。

しかしわずか3年後の2012年12月17日、民主党は歴史的惨敗を喫します。
いったい何があったのか、振り返りたくもない3年間をブログ「南町の独り言」から追ってみます。

2009年9月「自民党総裁」に谷垣氏が就任しました。
「鳩山首相」の所信表明演説あたりまで私たちの高揚感は続いていたような気がします。
9月28日ブログ10月27日ブログ

しかし年が変わると「政治とカネ」の問題などで鳩山政権は徐々に追い込まれていきます。
追い込まれるというよりも自滅していく感じでしたが、民主党は次期第22回参院選では強気の戦略を強引に進めようとしました。
その「参院選静岡選挙区2人擁立問題」に関する私の発言で、連合静岡も巻き込まれての大騒動に発展します。
10年2月22日ブログ3月31日ブログ
この騒動も4月末には落ち着きましたが、5月には「普天間問題」が火を噴きました。
事態を収拾させるために鳩山首相は、小沢幹事長を道連れに辞意を表明します。
5月6日ブログ6月2日ブログ
そのあと参院選の指揮をとったのは菅直人氏でしたが、民主党は惨敗を喫します。
静岡選挙区の藤本氏も強い危機感を持って闘いなんとか勝利をおさめましたが、前回(第21回)の民主獲得票を大きく割り込みました。
それでもまだ全国政党別得票数では自民党を400万票以上上回っておりました。

9月には民主党代表選挙が行われました。
すなわち「首相選択選挙」ですが「小沢vs菅」対決で世間を騒がせます。
この選挙で菅直人氏が再任された直後、「尖閣諸島」問題が勃発します。。
9月14日ブログ9月20日ブログ
年末に近づくにつれて菅内閣もボロボロになっていきます。
11月4日ブログ11月19日ブログ

(つづく)