栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

権力の甘い蜜の罠に堕ちた男達(1)~人を虜にする権力という蜜

2016-06-26 10:55:58 | 視点
 甘いものを指して「蜜の味」と言うが、この世で最も甘いのは「権力」という蜜の味だろう。
一度この味を覚えると、よほどの清廉潔白の氏でもない限り、その虜になり、最後は身を滅ぼしてしまう。その好例が前と現東京都知事だ。

人を虜にする権力

 それにしてもなぜ、彼らは東京都知事という椅子に魅せられ、それにしがみ付いているのか。
それほど知事という椅子は魅力的なのか、それとも東京都知事の椅子はほかの知事の椅子より格別に座り心地がいいのか。

 例えは悪いが、道府県知事の椅子が汎用品の中でちょっと高級な椅子だとすれば東京都知事の椅子はオーダーで別誂えした椅子ぐらいの違いだろう。
部課長の椅子と大企業の社長の椅子ぐらいの違いと言った方がいいかもしれない。
機会があれば一度座ってみるといいだろう。
背もたれの高い椅子に腰を下ろした途端、自分が偉くなったような気になるはずだ。

 そう感じるのは椅子の作りがいいからだけではない。社長室の空間的な広さや、そこに設えられてある調度品などからも受けるだろうが、なにより実感するのは部下が自分の指示一つで動いたり、指示を窺いに部屋にやって来るからである。
こうして人は権力を実感し、その力を自分自身の力と勘違いしていく。

 これが権力という力の全てではないし、人が権力に魅せられる全てではない。
権力の魔力は象徴的、感覚的、情緒的な部分よりは、その裏に潜んでいる実利的な部分(甘い蜜)にこそある。あるいは実利的な裏打ちがあってはじめて権力が力を持ちうる。

 人が権力に魅せられ、一度手にすると離したくないとしがみ付くのも権力がその裏で実利的な部分を持っている、実利的な部分とくっ付いているからである。
そのことを白日の下に晒したのが前・現東京都知事だ。

         (中 略)

都知事になりたがる理由

 それにしてもなぜ、彼らは東京都知事になりたがったのか。それほど都知事の職は魅力的なのだろうか。
 まず知名度。


 前都知事の猪瀬氏も欲しかったのは都知事という名誉だったのか、それとも都知事に付きまとう権力という力だったのか。
 彼は以前にも少し触れたが「ミカドの肖像」という労作を著すなどノンフィクション作家としての地位をすでに築いていたし、それなりの稼ぎもあったはずである。
政治の世界にさえ近づかなければ、と思うが、やはり「もっと、もっと」という欲があったのかもしれない。

         (中 略)



 ☆全文は「まぐまぐ」内の下記「栗野的視点」ページから

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