栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

言葉の短縮は思考の短絡を招く(2)~音節の平板化が思考を平板化する

2017-04-17 08:05:18 | 視点
音節の平板化が思考も平板化

 言葉(言語)は記号でも単語の羅列でもない。
思考の具であり、その人自身の思考でも、思想でもある。
人は母国語で思考する。
母国語がしっかり身についていないと思考ができないということは脳科学者などもよく指摘している。

 いい歳をして未だに「好きくない」みたいな言い方をしている人がいるが、言葉が変だと思考も変になると気付かないのだろうか。

 近年、言葉を短縮するのが流行っている。
なんでもかんでも短くしたがる。
同じような傾向は世界で見られるようだが、特に日本では顕著に見られる。

 だが常に言葉を省略したり短縮して使っていると、思考が短絡的になる。
なんでもかんでもアクセントを平板にしていると、思考も平板になる。
これは恐ろしいことだが、すでに社会にはそのような傾向が現れている。

 それはなにも日本に限ったことではないからよけいに恐ろしい。
中国語は音節の上がり下がりがはっきりしていて、その種類が4つあることから「四声」と言われているが、
いま第3声が使われなくなりつつあるという。
あと半世紀もすれば、中国語は四声ではなく三声になっているかもしれない。
ベトナム語もそうした傾向にあるというから、日本だけでなく世界中で思考の平板化が静かに進みつつあるのかしれない。

 思考が平板化してくると考え方が同質化し異見を認めなくなる。
異見を言う者に対し排除の論理が働く。

かつての村社会で行われた「村八分」という名の異質な者に対する排除である。
その行き着く先は戦前戦中の日本であり、ファッシズムであり、共産主義、全体主義だ。

 いま、世界はそこに向かいつつある。
2つの世界に分断されながら、それぞれの極では同質化が極端に進んでいる。
あれか、これか、敵か味方か、賛成か反対かで、第3は認められない。

 そしてそれを煽る道具にツイッターのような短文が使われている。
なぜなら他人を攻撃(口撃)する時、人は理路整然とした文章(それは往々にして長中文になる)ではなく、
短文もしくは単語で表現するからだ。
それは時には「罵(ののし)る」という表現の方がピッタリくるような方法で。
「フェイク(偽)ニュースだ」「エセ知識人」。
何の根拠も示さず、そう決めつけるだけで、一部の人の感情に訴えられることを彼らはよく知っている。

 こうして人はますます自ら思考する力を失っていき、熱狂的に短い言葉(スローガン)を叫ぶことに同調し、
そう叫ぶことで高揚感、達成感のようなものを味わい、それがさらに次の行動へと駆り立てていく。

ツイッターを使いたがる政治家

 政治家の中にもツイッターを活用する動きが増えている。
代表的なのはアメリカ大統領になったトランプ氏だ。
彼は既存メディアをフェイクニュースを流すと非難し、自分の意見をツイッターで流している。
それだけならいいが、公式会見を開き表明すべき政策や見解までツイッターで発信しているのは問題だ。
これでは公私の区別がつかない。

 公私混同はトランプ氏の常套手段である。
彼には一国の大統領としての自覚もなければ、彼の辞書には「利益相反」「公私混同」という文字はなさそうだ。
その時の気分で、ほとんど怒りにまかせてツイートしている。

でなければ娘イバンカのブランド商品がデパートで取り扱い中止になったことに腹を立て、
ツイッターでイバンカは「非常に不公平な扱いを受けている」と発言したりするだろうか。
仮にも大統領である。
一私企業のトップではない。
一私企業のトップでも上記の発言は問題だろうが。

 日本でも短文使いの政治家はいた。
小泉元首相が有名だが、彼の場合は政治的な範囲に限られており、トランプ米大統領のように
プライベートや身内のことに関して言及することはなかった。

 既存メディアを含め、自分を批判するものに対し激しく攻撃するトランプ氏に似ているのは
小泉時代から少し下って、「200%ない」と言いつつタレントから出馬した関西の政治家だろう。
いまから思えば彼はトランプ氏に先駆けていたわけで、後に彼のような政治家が世界のあちこちで出現する前触れだったといえる。

 権力を握っている政治家、それもトップ権力を握っている政治家から名指しで非難されれば誰でも萎縮してしまう。
とりわけ経済界は。

 まずフォード自動車が従った。
トランプ大統領による度重なるツイッター攻撃でメキシコ工場建設を断念した。
当然、トランプ氏の方はツイッターを使った攻撃が効果ありと考えるから、次々に固有名詞を挙げて非難する(脅しをかける)。

固有名詞を挙げ、標的にされた(と思わせられた)企業はビジネスを天秤にかけて恭順の意を表す。
ソフトバンクは事前に擦り寄り、トヨタも続いた。

 アメリカ企業はまだ抵抗の姿勢を見せているところが多いが、それでも兵糧攻めにされると、
この先どうなるか分からない。

 ツイッターでツイートする方法は使える--。
そう考えた政治家がヨーロッパで見られ出した。
台頭してきた極右勢力の代表者達だ。
彼らはトランプ氏に倣えとばかりにツイッターを政治的武器にし出した。
短文で話す方が楽だからだ。
「楽だ」とは言葉の意味や概念を説明することなく喋れるからだ。

 短文だから短時間に繰り返し短い言葉を発するようになる。
しかもほとんど同じような内容を。
それはまるで連打するように「フォロワー」の感情(理性ではなく)に訴えかけることができる。

 本来、政治家は言葉を大事にしなければならないし、
また言葉を大事にしてきた(言葉に責任を持ってきた)人間だが、
近年、その傾向はどんどん少なくなっている。

かつて「軽薄短小」という言葉が流行ったが、まさに政治家の言葉こそ軽薄短小。
軽く、薄っぺらになってきた。
その結果が短文使いだ。
なんとも不気味な時代になってきた。








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