栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

実年齢はなんの尺度にもならない。

2004-09-11 01:42:57 | 雑感
 博報堂生活総合研究所が年齢感覚について調査していた報告書がある。
それによると実年齢と精神年齢にはズレがあり、30代~40代は実年齢より平均7.6歳、50代~70代は平均11.1歳、自分の歳を若いと感じているそうだ。 
 いまさらという感もするが、こういうことを真面目に調査するところに総合研究所の存在意義がある。
 要するに40歳の人は自分を32、33歳だと思っており、60歳の人は48、49歳と思っているわけだ。

 たしかに自分が子供の頃に見ていた大人の年齢といまの大人の年齢にはイメージ的に随分差がある。
昔は35歳と聞けば「随分おっさんだな」と感じていたのが、自分がその歳になると、おっさんどころか「まだまだ子供」だと思ってしまう。
それはなにも思い込みのせいではない。
一つは寿命がどんどん延びてきているということ。
そのため実年齢が絶対的尺度にならず、相対的尺度にしかならないということだ。
 どういうことかというと、人生50年、60年の35歳と、人生80年の35歳ではそのまま比較できないわけで、比較するなら60分の35、80分の35だろう。
およそ実年齢に0.8を掛けた年齢がいまの年齢と考えればイメージと合う。
この数字は上記、博報堂生活総合研究所の調査報告数字とも合う。

 私は女性に歳を聞いたことがない。
エチケットとして聞かないのではない。
聞いても尺度にならないから聞かないのだ。
逆に相手の歳が分かることで、ガッカリすることも多い。
えっ、その歳でそんなことも知らないのか、と。
歳を知ることは百害あって一利なし、とまでは言わないが、それに近いものはある。
だから、女友達に一度も年齢を聞いたことがないし、いまでも聞かない。
妻の年齢だって分かったのは付き合ってから随分後だったのだから。

 私が歳を聞かないから、相手も私に齢を聞かない。
第一、歳をしつこく聞きたがる相手とは付き合わない。
理由は簡単だ。
そういう人はある種の尺度を欲しがっているのであり、自分の中に人を見る尺度を持ち合わせてないのだ。
よく血液型を聞いて「あなたは△型だから○○ね」と人をパターンに押し込めて安心するタイプがいるが、あれと同じだ。
特に日本人はレッテルを貼ったり、パターン分類をしたがるようだ。

 私は年齢不詳で通している。聞かれても答えない。
「何よ、男のくせに」と時には言われるが、年齢を聞きたがる相手は年齢というパターンで分類しないと、その後の話ができないらしい。
結局、自身の中にきちんとした判断基準を持ち合わせてないということになる。
自分の目と耳で判断すれば済むことなのだが、最近ますます自らの中にきちんとした判断基準を持たない大人が増えているような気がする。

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