十份(シーファン)への往路はエキサイティングだった。

 飛行機に乗るのが苦手だ--。
というと飛行機恐怖症、それとも高所恐怖症かと思われるかもしれないが、そうではない。長時間乗るのが苦手なのだ。
 一度、ニューヨークまで行ったが、その時の座席が6人掛けだかの中席。
ほぼ満席状態だったから到着するまで身動きできず、トイレにも立てずとても窮屈な思いをした。
それが往きだけならいいが帰りも同じ状態。
以来、10時間以上乗らなければならない国・地域には行かないことにした。
 そうなると自ずと行き先は限られてくる。大体、近場のアジア圏しかない。
というわけで今回も近場の中華圏に行ってきた。

 思えば初めての海外旅行は中華人民共和国(中国)だった。
田中角栄首相(当時)が中国を訪問して日中国交回復をした2年後ぐらいだったから、他に先駆けての訪中だった。
まだ個人旅行が許されてない時で、中国旅行というより訪中という概念の方が近く、
某訪中団に潜り込んでの旅行だった。
目的は中国旅行記の出版でカメラマンと2人だけが他のメンバーと比べて歳も若かったし、
昼食後の休憩時間や夜間のわずかな時間にそっと抜け出して出歩いていたから、
メンバーからは「場違いな参加者」という目で見られていた。

 その頃は台湾に行っていると中国からビザが下りなかったこともあり、台湾にはずっと行ったことがなかった。
さすがにこの頃はそういうこともないだろうと、やっと台湾旅行を思い立ち、
6月初めに台北4日間ツアーに参加した。
感想は「う~ん」というところ。
近年の中国旅行ほどショッピングに連れ回されることはなかったが、感動もあまりなかった。
まあ、それというのもこちらの興味が他の人とちょっと違うということも多少はあるが。

 例えば故宮博物院には北京の故宮のような建物を想像していたため全く面白くなかった。
建物の造りや外観だとか取り巻く風景の方に関心があり、内部の展示物(宝物)への関心は二の次なのだ。
 期待したのは古い町並みの九份(正確には人偏に分の字。ジョーファン)と
天燈(熱気球、ランタン)上げを体験できる十分(正確には人偏に分の字。シーファン)だったが、
ともに着いた時間が遅い上に雨で、来た、見(観にもならなかった)た、上げた、というだけの味気なさ。

「十份(人偏に分の字)」は十分エキサイティング

 その代わりにシーファンへの往路はとてもエキサイティングだった。
途中まで隣の席の人と撮影談義などをしていたが、バスの車体が枝でこすられだすと
急に2人とも口をつぐみ、ほぼ同時にシートベルトを締めた。

 夜道だから周囲の状況は見えなかったが狭い山道を登っているのだけはエンジン音から分かった。
ツアー参加客の大半は眠っていたようだが、私達はバスの前列に座っていたから
夜間とはいえバスの走行状態がある程度分かり、ひたすら前方を見詰め闇に浮かぶ白っぽいものを注視していた。

 不思議なのは途中すれ違う車も後から付いて来る車もないことだ。
時期に関係なく天燈上げをさせてくれる所はシーファンしかないから、体験しに行く旅行客は多いはずである。
それなのに細い山道をエンジン音を轟かせて上っているのは私達を乗せたバスだけ
というのはちょっと気味悪かった。

 もし対向車が来たらどうなる? 
なぜ他の車はこの道を走ってないのだ? 
そんな疑問が次々に湧いてくる。
もう眠るどころの話ではない。前席の背もたれに取り付けてある取り手を握る手についつい力が入る。

 その時、ヘッドライトに照らされて白いサイドラインが左に大きくカーブしているのが見えた。
当然、バスは左へカーブするはずである。
ところが、運転手はハンドルを左に切らず直進した。
えっ、直進する道があったのか、と思った瞬間、急ブレーキをかけてバスが止まった。

 おい、大丈夫か。居眠り運転してたわけではないよな。
そんな考えが頭を過る。
と、次の瞬間、今度は「ギギギッ」という嫌な音を立ててバスがバックしだした。
いや、バックではなく、踏んでいたブレーキを緩めたからバスが勝手に後退したのだ。

 そしてまたもや急ブレーキ。
「ギギギッ」と不気味な音を出してバスが再び後退する。
車体を枝がこする。
こうしたことを3度程繰り返して、やっと左にハンドルを切り動き出した。

 谷底へ転落? 
明日の朝刊の紙面が頭に浮かんだ。
いや、明日の朝刊には間に合わないだろう。発見されるのが明日だろう。
メモ帳を取り出し、書いた方がいいか。
いやボイスレコーダーに吹き込んだ方がいいなどという声が頭の後ろで聞こえる。
スキー客を乗せたバスの転落事故が頭に浮かんだ。

 「その瞬間」時間はとてもゆっくり流れ、走馬灯のように過去の人生が
眼の前のスクリーンにフラッシュバックしていく--。
 これは誇張でも何でもない。死に直面した多くの人が語っているし、私自身まだ若い頃、
バリケード占拠していた大学の2階校舎から転落した時に経験した。

 「その時」に見える光景はスローモーションで、実に美しかった。
縄梯子が外れて体が後ろにゆっくり回転しながら落下していき、背中が地面に叩き付けられるまで、
時間にすればほんの2、3秒のはずだが、時間はゆっくりと流れていく。

 青空に1羽の鳥が輪を描いて飛んでいるのが見えた。
なぜか、その光景だけをいまでも覚えている。

 体が後ろにゆっくりと反転していくのが分かり、宙を泳いでいるような感覚を覚えていた。
次の瞬間「ドスン」という音が聞こえ、背中に衝撃を受けたが不思議と痛みは感じなかったような気がする。
「ああ、死ぬんだな」と朧げな頭で考えていた。
 親友は下半身不随になる心配をしてくれたようだが、そうならずに済んだのは幸いだった。

 今度は、フラッシュバックはなかった。
メモ書きもボイスレコダーへの吹き込みをすることもなく、とりあえず「無事」に目的地に到着。
バスを降りて通訳・ガイドの劉さんに「危なかったな」と話しかけると、
「大丈夫。帰りも同じ道を通るから」。
えっ、本当かよ、と思った次の瞬間、「ウソよウソ。帰りは違う道通るから安心して」だって。

 なんと帰りは高速道路。もちろん広くて直線。
後ろの席の人達が「こんな道があるなら、なぜ最初からこの道を走らないんだ」とこぼす声が聞こえた。
 そうなのだ、他のツアー客は皆高速道路を走ってシーファンに行っていたわけで、
私達のツアーだけが危険な山道を時間をかけて上って行ったことになる。
おかしなことだ。
で、考えてみた。
これはおそらく高速道路料金を浮かすためではないか。
日本の旅行社には高速道路を通行することにして、その分の料金も込みで貰い、
実際には料金を少し浮かし自分たちのポケットに入れているのではないだろうか。
日本国内でも格安旅行や小さな旅行会社がよく使う手だ。







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