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栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

「Go toキャンペーン」は喜ぶだけでいいのか。

2020-10-20 09:37:51 | 視点

栗野的視点(No.709)                   2020年10月8日
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「Go toキャンペーン」は喜ぶだけでいいのか。
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 10月1日、「Go to トラベル」キャンペーンに東京発着の旅行が加わったことで

各地の観光地は大賑わいになり、宿泊業をはじめ観光需要を当て込んでいた業者は

皆「一息つけた」と顔をほころばせていた。

 「Go to」はトラベルだけに限らず、この後様々な業種向けのものも用意されているという。

消費者にとっては安く旅行できたり、安く食べられたりするのだから大歓迎に違いないが、

この「Go to キャンペーン」、素直に喜ぶだけでいいのだろうか。

宿泊料がタダ同然になる

    (略)

「Go to」は高級宿ほど恩恵

    (略)

ほぼタダになった民宿料金

    (略)

「Go to」は税金の無駄遣い

 こう見てくると「Go toトラベルキャンペーン」は利用者にとってはいいことずくめの

ように思えるし、このキャンペーンを利用して旅行しなければと多くの人が考えるに違いない。

 しかし「待てよ」と言いたい。いいことずくめに思えるキャンペーンだが、喜んでばかりでいいのだろうか。

 35%の割り引きにしろ、地域クーポンにしろ、「打ち出の小槌」のようにカネが湧いて

出てくるわけではない。どこかで誰かが割引額を補填しなければならないのはちょっと考えれば分かる。

 では、旅館やホテルなどが35%値引きした料金で提供してくれているのか。

それとも旅行会社のサービスか。あるいは旅行関係業者が分割負担しているのか。

 今回のCOVID-19騒ぎで売り上げが大幅に落ち込み、中には倒産の危機に瀕しているところも

ある中、その可能性はまずないだろう。

 となると「打ち出の小槌」を振って大盤振る舞いしているのはどこなのか。

このキャンペーンを仕掛けた政府である。それなら安心だ、と喜べるか、喜んでいいのか。

 無から有を作り出す「打ち出の小槌」など世の中には存在しない。

どこかから原資を持って来なくてはいけないのは「灰色の脳細胞」でなくても分かることだ。

 いや、いや、そんなことは簡単だ。日銀に言って紙幣をどんどん刷ればいいだろうって。

そんなコンビニエンスに行ってコピーするのとは訳が違う。

紙幣をどんどん刷れば市中に金が溢れ、ハイパーインフレになる。

ハイパーインフレになると物価はどんどん上がり、国民一人一人が持っている資産価値は

ガタ減りになる。これでは経済活性化どころか、その逆になる。故に紙幣の乱造は考えられない。

 ところで今春以降、政府は「新型コロナウイルス」関係でかなりの資金を投入している。

そして今また「経済対策」という名の下に「Go toキャンペーン」を仕掛けている。

 その金はいずれも国庫から出ているわけで、元をただせば税金だ。

税金である以上、入って来る金と出ていく金はきちんと管理されなければならない。

収入と支出のバランスを取るのが本来の姿だが、短期的には支出の方が多いこともあるだろう。

 個人でも会社でも国でも同じだが、「財布」に金がなくなれば借金をせざるを得ない。

しかし、借りた金は時期は別にしても必ず返さなければならないが、まずどこから借りるのか。

 企業の場合は銀行等から、国は赤字国債の発行という形で当座の資金を手当てする。

我が国は健全財政とはいえず借金まみれと言っていい状態になっている。

借金返済を未来に先延ばししながらやってきているわけだ。

 そこにもってきて今回の「新型コロナ」である。休業補償だ、一律給付だと予定外の支出が増えている。

 与野党ともに国の財政のことは後回しにして、人気取りでどんどん、速やかに支給しろと

いう論議ばかりが罷り通る。たしかに出血している怪我人を前にすれば、まず止血する必要がある。

それは分かるが怪我をしていようがいまいが関係なく、とにかく薬を与え包帯をグルグル巻きに

する必要があるのだろうか。それではいくら金があっても足りなくなるし、

不足した資金を補うためにまた借金を重ねるということになる。

 もちろん、現在の支出は一時的なもので経済が好転すれば税金として国庫に入って来る金が

増える、というのも分かる。

それは今行っている政策が有効な場合だが、「Go toキャンペーン」がそれほど有効とも思えない。

 というのは、皆すでに自粛疲れで外出したがっているわけで、キャンペーンがあろうが

なかろうが、外出自粛が解禁されれば旅行に行っているだろう。

もちろんキャンペーンで旅行代金が安くなれば旅行に行く人の数は増えるだろうが、

そのための支出分と、キャンペーンで増えた人の支出分を計算すれば後者の方が圧倒的に

多いとはならないのではないか。むしろ前者の支出の方が多いのではないかと考える。

 その辺りのことはきっちり検証する必要があるし、ムダに税金を使ったのでは

逆に国民の負担が増えるだけだ。

 このところ政権の人気取り政策ばかりが目立つように思うが、

我々国民の側も旅行代金が安くなると喜ぶだけではなく、

収支決算や将来も見据えてしっかり考える必要があるだろう。

 

 全文はHPか「まぐまぐ」から配信(無料)している「栗野的視点」でお読み下さい。

 HP http://www.liaison-q.com/

 

 


菅首相の携帯電話料金値下げ要求はMVNOを潰す

2020-10-16 15:35:12 | 視点

栗野的視点(No.708)                   2020年10月5日
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菅首相の携帯電話料金値下げ要求はMVNOを潰す
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 菅義偉氏が首相になり力を入れているのが携帯電話料金の引き下げ。

「日本の携帯電話料金は諸外国に比べて高く、3大キャリアは儲け過ぎており、

40%は引き下げる余地がある」と言う。

 数年前までなら確かにその通りで、電話料金の値下げはいいことだと賛成するが、

今は素直に喜べない。

3大キャリアは低料金プランも

 というのも、この数年でドコモを始めとしたキャリアの電話料金は下がっているし、

低価格プランも増えているのが1つ。

もう1つはMVNOと呼ばれる格安SIM取り扱い会社潰しになるのではないかと危惧するからだ。

 この種のことは過去何度も繰り返されてきた。

例えば航空運賃。規制緩和で参入障壁を下げ、競争による運賃低下を目論んだが、

国内の格安航空会社はほぼ全滅。

結局、大手航空会社の傘下に入り経営の立て直しをせざるを得なかった。

 携帯電話もSIMロックを外しSIMフリーにするように法改正をした結果、

多くのMVNOが生まれたのはいいが、格安航空会社と同じ道を辿るのだろうと

踏んだ通りになりつつある。

 まずソフトバンクが格安携帯電話会社ワイモバイルを設立してサブブランド化。

さらに最近、MVNOのLINEモバイルを子会社化した。

 KDDIも格安SIMを扱うビッグローブを子会社化。

さらにUQモバイルを子会社化し、キャリアからMVNOまでをグループで扱えるようにした。

ワイモバイル、LINEモバイル、UQモバイルは他のMVNOと違い豊富な宣伝費を

使ってPRできるだけでなく、親会社のキャリアから回線を安く仕入れることが

可能になり、他MVNOとの競争で優位に立てるようになった。

 3大キャリアで唯一サブブランドを持ってないのがドコモだが、

ドコモは大半のMVNOに回線を卸しており、そこから上がってくる売り上げが

大きいこともあり、同社がサブブランドを持つ可能性は低い。

その代わりに出した答えがNTTによるドコモの完全子会社化である。

「合理的かけ放題プラン」が広がるか

 キャリアはさて置き、格安SIMを扱うMVNOはといえば当初は安いデータ通信が

ウリだけだったが、その後プレフィックス電話の導入により30秒20円の通話料金を

30秒10円と半額にしたり、3分とか5分かけ放題プランを導入するなどの努力をし、

加入者数を増やしてきた。

 それでも3分、5分のかけ放題はやはり使い勝手が悪いし、データ通信料にしても

月10GB以上の大容量の通信料は高いという不満が募っていた。

 またキャリアの2年縛りに比べれば短いとはいうものの、実質1年の縛り期間はある。

 これらが邪魔をしてMVNOへの移行をためらうユーザーは多い。

そこでMVNOの中にはよりユーザーサイドに立とうと努力する企業も現れだした。

その一つが10分かけ放題プランの導入である。

3分は用件のみのビジネス電話的で、5分でも通話時間を見ながらの通話しかできず、

両方とも精神状態はよくない。その点、10分になるとある程度余裕を持って通話ができる。

というわけで今は10分かけ放題を導入するMVNOが増えている。

 ユーザーが本当に望んでいるのはキャリア並みの時間制限なしのかけ放題だが、

これには回線の卸価格(プレフィックス電話との接続料)の問題がある。

卸価格が安くなれば通話料の値下げに踏み切ろうとするMVOはいるわけで、

その1社が日本通信だ。

 同社はNTTドコモの卸価格値下げで総務省の裁定に持ち込み、

12月末の結論を先取りする形で7月から「合理的かけ放題プラン」の導入に踏み切った。

 このプランは通話中心の高齢者などには歓迎されるプランだし、

個人的にも大歓迎で日本通信に替えたいと考えている。

ただ、現在利用中のMVNOからの移動料金が安くなる1年近く待ってからと思っている。

 もう一つは、これが多くのユーザーと共通する点だろうが、

日本通信のSIMに切り替えたユーザーの声を聞いてから、実際の通信速度や

品質などを判断してから決めたいと考えている。

速度アップで使える低速モード

      (以下 略)

 

  全文はHPに収録、

栗野的視点(No.708):菅首相の携帯電話料金値下げ要求はMVNOを潰す

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「コロナ」が変えた社会(4)~貧困層が増え、社会的格差がさらに拡大

2020-10-13 21:45:30 | 視点

 COVID-19は人類の生活をすっかり変えた--。

と言っていいかもしれない程、我々の社会生活、日常生活を変えつつある。

人と人の物理的距離(ソーシャルディスタンシング、フィジカルディスタンス)の取り方やマスク姿、

リモート〇〇は、そのうち元に戻るかもしれないが、修復できないほど距離を広げたものがある。

エールは時にプレッシャーにも

 その1つに社会的格差がある。貧富の差と言ってもいいだろう。

かつて日本は「1億総中流社会」と言われたように富の格差はそれ程大きくなかった。

この頃が最も活力に溢れていた時であり、その後バブル経済期を迎え「ジャパン・アズ・ナンバーワン」

などと言われ、いい気になっていた頃もあった。


 だが、「驕る平家も久しからず」の例え通り「日出づる国」はバブル経済崩壊を経て「日没する国」になり、

その頃から貧富の差が開き出し、格差拡大社会へと移行していった。

 現実と幻想、人々の意識の間には認識の時間的差がある。

両者の差が埋まってきたのが平成の終わり頃で、その頃になるとほとんどの人が格差の存在を認めるように

なったのと同時に、一度付けられた格差は変えることができず固定化されていくと身をもって知りだす。

階層から階級への変化であり、格差の固定化である。

 この現実を実感して初めて人々は格差社会の存在を認識するも、この国の人々の中にはまだ

「努力すれば変われる」「変われないのは自分の努力が足りないからだ」という、

親の代から擦り込まれた「希望という名の幻想」が残っており、それが「自己責任」という名に変えられ、

個人の責任に帰せられ、権力批判に向かわないのが、この国の特徴だ。

 かといって、鬱々たる不満を抱えたままでは自らが病んでいく。

どこかに「ガス抜き」をする必要がある。向かう先は異分子、権力を持たない弱者。

彼らは総じて集団に従わない、集団の「総意」と異なる意見を持っている。

それを皆で叩こうとする。形を変えたイジメ、リンチである。

 こうした現象は逆の形で表れることもある。例えば今回の医療従事者への讃辞。

感染リスクに曝されながらCOVID-19患者を受け入れ、治療に当たっている医師や看護師など

医療従事者に感謝を贈ろうと始まった、決まった時間に一斉に拍手する行為。

 動機が善意だけに批判もなく各地で広がって行ったが、元はアメリカで始まったもの。

モノマネでも二番煎じでも、善意を広げることはいいことだ。

しかし、行政が率先してやることに腑に落ちないものを感じる。

 福岡市でも市長をはじめ職員が一斉に窓際に立ち拍手するらしいが、そこに善意の強制と

医療従事者へのプレッシャーを感じてしまうのはなぜか。

 まず行政が行わなければならないのは実質的な支援だろう。

医療現場が欲しいのは医療用具であったり、人的・金銭的支援のはず。

それを「拍手」だけで済ませようというところにセコさ、パフォーマンスを感じてしまう。

「同情するならカネをくれ!」という言葉はこういう時にこそ相応しい。

 雨合羽の寄付も緊急時に何もないよりはあった方がいいだろうが、本当に欲しいのは医療用防護服で、

行政や企業はその手配こそ全力ですべきだ。

 後方部隊の役割は精神力に訴えることではなく、現場に不足物資を届けることである。

輜重の補給があってこそ前線部隊は闘えるのだから。

 後者の問題はギリギリのところで頑張っている医療従事者に、もっと頑張ってくれという

プレッシャーを与えることになる。感謝の一斉拍手は最初はうれしいだろうが、

決まった日時に定期的に行われ出すと、それはエールを通り越して「もっと頑張れ」

というプレッシャーに感じてくるだろう。

 感染リスクと背中合わせで、心身ともに疲れ切っているのに、まだ頑張れと言うのか。

私達が欲しいのは休める時間と、勤務に見合った報酬だ、という気になってもなんら不思議ではない。

立場が逆なら、多くの人がそう考えるに違いない。

62人が36億人分の資産を所有

 話を元に戻そう。

 かつての階層分化は固定化され階級に変じているにも拘わらず、それを未だ「階層」だと信じている

お人好しにされてしまった国民。本来、権力に向かうべき刃は「刀狩り」以降すっかり牙を抜かれて

従順な飼い犬に成り下がり、せいぜいネットで「リア充」を発信する程度である。

 ネットという仮想世界で現実生活を「リアルは充実」と発信すること自体が奇妙だが、

ネットは「幻想社会(バーチャル)」と彼女達は知っているからだろう。

束の間の夢の世界であり、現実とは違う仮想社会(バーチャル)だからこそ演じられる世界であり、

そこで現実(リアル)に感じている様々な不都合、不平等、不誠実、差別等をなかったことにしている。

 「夢見るシンデレラ」は悪いことではない。

ただ、それが権力者によってうまく利用されていることも知っておく必要があるだろう。

 アメリカでは人口の1%の富裕層が富を独占し、経済も政治も動かしているばかりか、

「世界のトップ62人の大富豪が全人類の下位半分、すなわち36億人と同額の資産を持っている」

(国際貧困支援NGO「オックスファム」による報告、2016年)という現実を見れば、

かつての封建時代より貧富の格差ははるかに大きくなっていることに気付くだろう。

 問題は格差があることではなく、格差が拡大し、なおかつ固定化(階級化)していることである。

貧しい者は一層貧しくなり、人口の1%程度を占める富める者はますます富み、富だけでなく

権力も掌中にしていく構造が出来上がっているにも拘らず、その現実から目を逸らされている。

 富める者は富を1代で築こうが、親から譲り受けたものであろうが、その富で幼稚園・小学校から

有名校に入学でき、有名中高一貫校に進むか、有名進学校に入学し、家庭教師を付けたり

有名塾に通って一流大学に入学し、官僚になるか政治家、あるいは一流企業に就職する。

 早い話が日本の政治、経済をリードする地位に彼らが着いているわけだ。

このことは取りも直さず、親の財産の過多で子の将来は決まっているということであり、

日本も階級社会になってきたことを意味している。

 一方、貧しい者は高校時代から学費稼ぎのためにアルバイトをし、大学に入学しても

学費と生活費のためにアルバイト生活を余儀なくされる。

言い換えれば、勉強したくても勉強に割く時間がない。

学費と生活費を稼ぐためにアルバイトをしなければ生きることさえままならないのだ。

 彼・彼女達の何パーセントかは生きるために学業を諦めざるを得ない者も出て来る。

なんとか卒業できたとしても、そんな環境で優秀な成績を残せる人間は極めて稀だろう。

 一見、「よーいドン」で走り出しているように装われているが、実はスタート時点から差を付けられている。

これは競争でも何でもない。勝つ者は最初から分かっている。それが今の格差社会の現実である。

格差は拡大するのか縮小するのか

 問題はこの格差が今後どうなるのか。縮小するのか、さらに拡大するのか。

「努力次第で上に行ける」「頑張れば成功者になれる」と言う人がいるかもしれない。

そう言う人は団塊の世代以上だろう。

 たしかに戦後からしばらくの間は既成秩序が破壊された戦国時代に似た時代で、皆が同じスタートラインに立っていた。

そういう時なら「自分の力で」「頑張ればなんとか」なったし、多くの企業がベンチャーだった。

 だが、今はそんな時代ではない。にも拘らず「頑張れば上に行けるのだから」と言う人は

よほど現実を無視しているか、幻想を振り撒き、馬の前に人参をぶら下げて走らそうと考えている人に違いない。

 今後、格差が縮小する可能性があるとすれば世界経済が破綻し、既成秩序が崩れ、

皆がもう一度同じスタートラインに立った時以外にない。

 COVID-19の世界的大流行がそのきっかけになるだろうか。

たしかに世界経済に未曽有の打撃を与えつつあるから、考えられないことではないと思えそうだ。

 しかし100年前のスペイン風邪の大流行でも世界経済に壊滅的な打撃を与えることなく資本主義経済は立ち直った。

 それを併せ考えても、COVID-19が世界経済と既成秩序に壊滅的打撃を与えるとは残念ながら思えない。

 とはいえ、一切の打撃も変化もないわけではない。

ただ、起きる変化が大半の人、人口の90%を占める人々にとって好ましくない変化だというだけである。

 そう、今でさえ不平等な、富める者と貧しき者の格差は縮まるどころか、逆に今以上に開いていくだろう。

 例えば正規雇用と非正規雇用。

今回のCOVID-19は航空・運輸業界や自動車関連業界にも大打撃を与えているから必ずしも大企業に

属している人が安泰とは言えない部分もあるが、それでも最初に雇用調整されるのは非正規雇用の側だ。

 非正規雇用の中には会社の寮に住み込みで働いている人も多く、そういう人は職を失えば

住む場所も失い、路上生活を余儀なくされるし、そういう例も増えている。

           (以下 略)

 

低所得層は今後増えていく

 

「リモート」が格差を広げる

          (略)

 

 

  全文はHPに収録、

栗野的視点(No.700):「コロナ」が変えた社会(4)~貧困層が増え、社会的格差がさらに拡大

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冷静さを取り戻すにつれ「専門家会議」の誤りを指摘する専門家も

2020-07-24 11:52:39 | 視点

栗野的視点(No.698)                   2020年7月14日
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冷静さを取り戻すにつれ「専門家会議」の誤りを指摘する専門家も
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ここ数日、東京では感染者集が100人を超える日が続いていますが、

社会全般で言えば、当初の慌てふためきはなく、少し落ち着きを取り戻しているようです。

そして感染学専門家の見解も当初に比べて2つに分かれてきたようです。

 だが「(No.685):「巣籠もり」作戦は本当に正しいのか、事態を打開できるのか。」で

「未知のモノや予期せぬ出来事に遭遇した時、人が取る行動は次のようにパターンに

分かれる」と指摘した5段階ではなく、まだ3段階と4段階の中間くらいのようです。

 1.身構えと様子見

 2.右往左往

 3.怯えと軽視

 4.敵対と協調

 5.反転攻勢

 なぜなのか。アメリカ、ブラジルの感染者数、死亡者数が減少に転じないことが1つ。

もう1つは東京の感染者数が連日100人を超えていること。

3つ目には初期の「警告」があまりにも極端だったことなどが挙げられるでしょう。

 特に「専門会議」の提言はとても科学者とは思えないもので、

きちんとしたエビデンスを示さず「人との接触を8割削減」などと唱えて、

人々の恐怖を煽ったりした弊害は大きいでしょう。

当のご本人は「8割おじさん」などと言われたり、言って悦に入っているようですが、

その数値の根拠を示さないのは科学者の態度とはとても言い難い。

 それにノーベル賞受賞の教授までが乗って同調するものだから、

権威に弱い人たちは皆信じて右往左往することになる。

 それでも最近は「専門家会議」と異なる見解をメディアも取り上げ始めています。

例えば朝日新聞は7月2日の朝刊で宮坂昌之・大阪大学免疫学フロンティア

研究センター招聘教授へのインタビュー記事を

<「新型コロナで集団免疫はできない」免疫学者の警告>と題して載せています。

 その中で宮坂教授は次のように指摘しています。

「日本のコロナ対策に関する議論には、いくつか大きな誤解がある」

「抗体だけが免疫だと短絡的に考えるのは誤り」で、COVID-19では

「集団免疫は獲得できない」と指摘する一方、

「自然免疫が強ければ、自然免疫だけで新型コロナウイルスを撃退できる人もいる。

ここが完全に見落とされています」と述べ、「一時期言われた、

人々の全体の接触率を8割減らすといったマスの対策は必要ないと思います」と。

 また7月11日の朝日新聞朝刊で<ウイルスの実態と合わない対策 

過剰な恐怖広げた専門家>という見出しで、国立病院機構仙台医療センターの

西村秀一・ウイルスセンター長へのインタビュー記事を載せています。

 その中で西村センター長は「病院と一般社会は分けて考えるべきだ」と言い

「ウイルスが現に存在して厳しい感染管理が必要な病院と一般社会では、

ウイルスに遭遇する確率が全然違う」にもかかわらず「スーパーでも病院で

使っているフェースシールドを着けて」いるが「街中そこかしこでウイルスに

遭うようなことはありません」。

それなのに過剰とも思える防衛対策が取られているのは

「突き詰めて考えると、専門家の責任が大きい」と述べています。

 さらに「ウイルスは細菌より接触感染のリスクがずっと低い。

なんでもアルコール消毒をする必要はない」

「確かにプラスチック面では比較的長く生き残るという論文はありますが、

それは、面に載せた1万個弱のウイルスが最後の1個まで死ぬのに、

3、4日かかったというものです。ただ、そこにある生のデータを細かく見ると、

生きているウイルスは最初の1時間でほぼ10分の1に減っています」

 こうした記事を読む限り、ウイルスや感染症の専門家の意見も1つではないと分かります。

 私はどこぞの大統領のような楽観主義者ではありませんし、

緊急事態宣言が解除された途端に夜の街に行く蛮勇も持ち合わせていません。

6月中旬にある人とレストランで昼食を共にしましたが、その時「久し振りに

中洲(福岡の歓楽街)に行きましょうよ」と誘われましたが、はっきりお断りしました。

「どうぞお一人で行って下さい。私は行きません」と。

 ただ、エビデンス(根拠)が示されない説を信じて怯えたり、

それで人や地域を差別するようなことはしたくないし、そうした風潮を

煽る動きには反対だというだけです。

その先にキナ臭いものが待っている感じがするから。

 えてして専門家は時の政治に利用されやすい、ということも頭に入れておいた方がいいでしょう。


栗野的視点(No.687)                   2020年5月24日
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「コロナ」が変えた社会(1)~民主主義が崩壊し、戦時中に逆戻り
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◆怖いのは人の心に棲む鬼
◆行政とメディアが煽っている

 http://www.liaison-q.com/kurino/PostCORONA1-1.html

 


「コロナ」が変えた社会(3)~世界は中国化していく

2020-07-10 20:47:33 | 視点

栗野的視点(No.691)                   2020年6月17日
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「コロナ」が変えた社会(3)~世界は中国化していく
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 「アメリカファースト」に凝り固まったトランプ米大統領は自国経済の悪化も

COVID-19による米国民の死者数増も、悪いのは全て中国のせいにして自身の

支持率アップを図ろうとしている。だが彼の思惑とは反対に中国の世界への影響力は確実に広がりつつある。

 そしてCOVID-19の世界的大流行(パンデミック)が一段落した後、世界はほぼ間違いなく中国化しているだろう。

「コロナ」後は中国が世界標準に

 なぜ、世界の政治指導者達はここまで強権的な方法に踏み切ったのか。

なぜ、民主主義国家の国民が大した反対もせず、自由と私権の制限にやすやすと従ったのか。

本当にSARS-CoV-2は狂暴なウイルスなのか。

 そうしたことが本当に解明されるのはもう少し後になりそうだが、

現段階でもはっきり分かっていることが1つだけある。

 後の時代に「COVID-19の前と後」と語られるほど、この感染症が我々の世界を

変えてしまったということだ。

 それは何か--。

結論から先に言えば、民主主義の崩壊と世界の中国化である。

さらに言うなら、アメリカという「帝国」の完全なる崩壊と、それに代わる

中国という「新しい帝国」の覇権確立だろう。

 そして意図するとしないとに関係なく、それまで世界の秩序を維持していた

民主主義国家はCOVID-19を契機に経済のみならず政治的にも中国の覇権の下に

ひれ伏したことを意味する。

それと同時に、それまで「グローバルスタンダード」とほぼ同意語だった

「アメリカスタンダード」は「チャイナスタンダード」に変わることも。

 

「帝国」になれない中国の覇権主義

   (略)

増加する監視システムと追跡アプリ

   (略)

 

 

 

  全文はHPに収録、「まぐまぐ」からも配信しているので、そちらでどうぞ

栗野的視点(No.691):「コロナ」が変えた社会(3)~世界は中国化していく

 


「巣籠もり」作戦は本当に正しいのか、事態を打開できるのか。

2020-06-18 18:18:51 | 視点

栗野的視点(No.685)                   2020年5月13日
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「巣籠もり」作戦は本当に正しいのか、事態を打開できるのか。
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 強大な相手に対して、まず籠城することは一定の効果がある。

しかし、籠城戦で勝った戦いはない。その多くは兵糧が尽きたり病人続出で自滅している。

籠城戦が効果あるのは短期間だ。長引けば長引くほど戦死者数より餓死者数の方が多くなる。

今、その時期に差し掛かろうとしているように思える。

 本当に「巣籠もり」作戦は正しいのか。ボタンの掛け違いはなかったのか。

データを収集・分析する方向性は正しいのか。そういうことを再度出発点に戻り冷静に見直す必要があるのではないか。

未知との遭遇で人が取る5つの行動

 人は未知のモノや予期せぬ出来事に遭遇した時、様々な行動を取るが、

概ね段階ごとに次のような行動パターンに分かれる。

1.身構えと様子見

2.右往左往

3.怯えと軽視

4.敵対と協調

5.反転攻勢

 

     (中 略)

 

怯えは増幅し、同調圧力は強まる

 

 時間(日数)の経過とともに人々は冷静さを取り戻し始め、対象や事態を冷静に見つめようとする動きが増してくる。

もちろん、この段階でも根拠の薄い怯えと楽観視は残る。

 いや、むしろ両方の動きはさらに力を増していく。怯えはどんどん強くなり、さらなる防御姿勢を強めていく。

方向性を与えられたベクトルは決してジグザグに進んだり、ましてや後戻りすることはない。

ひたすら進む。それも速度を増しながら。これは拡大であれ、膨張、収縮であれ同じだ。

 今、怯えのベクトルに力を与えているのがTVを中心としたメディアである。

 特に酷いと感じるのがTVの情報番組。

一度ある方向(今回の場合は「自粛」)に向かい出したベクトルは決して途中で速度を緩めたり、

立ち止まることをしない。もっと、もっと、というように、さらに先へ進んで行く。

 TVは特に極端な映像を求めたがるだけに、視聴者側の冷静な判断が求められるが、

そうした情報に引っ張られる形で「積極的に」動き出す者もいる。

 「みんなが自粛しているのに、お前はなんだ。営業自粛しろ」というわけらしいが、

背景にあるのは不安と怯え。その裏返しで「自分は要請に従い、我慢しているのに、

それに従わない奴は許せない」という他者への怒りの行動となっている。

 これは戦時中の隣組組織などで見られた行動と同じだが、権力に従順な人、

強い者に従う傾向が強い人にほどよく見られ、自身の内に権力志向、権威主義的傾向を秘めている

     (中 略)

見るべきは感染者数より死者数

「専門家会議」の副座長、尾身茂氏は「報告されているより数が多いのは間違いない。

それが10倍か20倍か30倍かは誰も分からない」と答えている。

 「専門家」が、報告されている感染者数を信用していないばかりか、

どれほどの人が感染しているか「誰も分からない」と言うのだ。

 ここで本メルマガNo.683で書いたことを思い出して欲しい。

私はそこで感染者数に触れ「検査総数中の感染者数と、実際に感染した人の数の2つがある」と指摘していたことを。

 データのどこを見ればいいのか、どのデータを比較すればいいのか。それは死者数である。

     (中 略)

 

都市封鎖、巣籠もりは有効か

 同研究チームによると「人々が集まるレストランやバー、レジャー施設、イベント会場の閉鎖も

感染拡大の抑制に寄与した」が、「これら以外の業種における営業停止は、感染拡大の抑制に

ほとんど影響がなかったとみられる」。

 また「外出禁止は、COVID-19の発生率の減少との相関がなく、むしろ外出禁止の日数が

増えるほど、感染者数は増加した」とのこと。

 興味深いのは「巣籠もり」する日数が増えるほど、逆に感染者数は増加したという点である。

     (中 略)

 

高齢者、基礎疾患持ちこそ巣籠もりを

現段階で可能な最も現実的な方法は何かを考えてみよう。

そのためには感染者数より死者数の方が重要になる。

 というのは感染しても軽症で終わる人(中には無症状でいつの間にか治っていた人もいる)と、

感染すると重症化する人がいるが、重要なのは後者を減らすことである。

     (中 略)

 蛇足でもう一言。第2波、第3波の世界的流行はない(小さな流行程度はあるかもしれないが)だろう。

     (以下 略)

 

 

  全文はHPに収録、「まぐまぐ」からも配信しているので、そちらでどうぞ

栗野的視点(No.685):「巣籠もり」作戦は本当に正しいのか、事態を打開できるのか。

 


「COVID-19」関係の報道に感じるいくつかの疑問 Part2

2020-06-15 11:49:10 | 視点

栗野的視点(No.683)                   2020年5月6日
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「COVID-19」関係の報道に感じるいくつかの疑問 Part2
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 TVをつければ朝から夜まで「コロナ」「コロナ」の大合唱。

外出自粛を余儀なくされた身には勢いTVを見る時間が増えるが、どこのチャンネルでも

似たり寄ったりの内容で、そんな状態を1か月も続ければ自ずと結果は見えてくる。

気が付いた時には疑うことを一切しない、ある種「洗脳」状態に陥っている。


 かつて声高に反戦や反原発を叫んだ者達も相手がウイルスとなると、

「人類の危機」とばかりに、かつて歌っていた抵抗歌の代わりに「欲しがりません、

勝つまでは」の大合唱。

 いまや皆が一つ方向に向かい、突き進む不気味さ。

そして紙メディアも電波メディアも、それを後押しするように「緊急事態宣言」を

出すのが遅い、早く出せと、これまた大合唱。

   (中 略)

1.なぜスペイン風邪と比較するのか

 なぜスペイン風邪を引き合いに出すのか。

死傷者数が多いからではないかと思うが、100年前と今では時代背景がまるで違う。

 まず、スペイン風邪流行時と今では医学の進歩がまるで違うので同列には論じられない。

さらに決定的に異なるのはスペイン風邪流行時は第一次世界大戦中であり、

兵士から感染が拡大していった。塹壕戦で感染が広がり、戦死者よりスペイン風邪による

感染死者の方がはるかに多かったと言われている。

 このようにスペイン風邪は特殊な条件下で感染爆発が起きているわけで、

今起きているCOVID-19の引き合いに出すのは妥当ではないし、間違ったイメージを植え付けることになる。

   (中 略)

2.データの使用法に疑問

   (中 略)

3.データ分析は行われているのか

   (中 略)

 現段階でもある程度分かっていることがある。女性より男性、若者より高齢者、

健康な人より気管支や肺に問題を抱えていたり、糖尿病、高血圧を抱えている人の方が

重篤になるリスクが高いということが分かっている。

 さらに細かく分析すれば、もっといろいろなことが分かるかもしれない。

そうすれば打つ手は随分変わって来るだろう。

 今のように全国、全国民一斉に籠城ならぬ自宅に籠もって人と接触するのを避け、

ひっそりと暮らす必要はないかもしれない。

古来、籠城戦に勝ち目はない。打開できるのは外から援軍が来て包囲網を解いてくれた時だけだ。

 今、「自粛」を緩めれば、爆発的感染が起きる可能性が高いと言われるが、

重篤化するリスクの高い層が分析できていれば、そこを重点的に守ればいいということになる。

全国民を対象にすれば対応医療機関・医療関係者やベッド数の不足だとか休業補償費

(中には休業補償費も出さずに休業要請をしている自治体まであり、後者は何をか況や

というか無茶苦茶以外の何物でもない)だってうんと少なくて済むはずだ。

 ましてや感染者がゼロの県や自治体、また感染者数が1桁の県が全国に倣えで

「自粛」する必要もなくなるだろう。

   (中 略)

4.エビデンスに基づいているのか

   (以下略)

 

  全文はHPに収録、「まぐまぐ」からも配信しているので、そちらでどうぞ

栗野的視点(No.683):「COVID-19」報道に接して感ずるいくつかの疑問 Part2

 


「COVID-19」報道に接して感ずるいくつかの疑問

2020-05-29 12:45:07 | 視点

栗野的視点(No.682)                   2020年4月27日
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「COVID-19」報道に接して感ずるいくつかの疑問
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 新型コロナウイルス感染症(以下COVID-19)が猛威を振るい、どんどん広がっている--。

いや、猛威を振るい、広がっているのは人間界の対応の方だが。
 このところの報道に接していると、いくつもの疑問が湧いてくる。

以下、それらの疑問を列挙してみたい。

1.「政府専門家会議」の提言に対する疑問

 大体「オンライン」が多すぎる。

全国民がとまでは言わないが大半の国民がオンラインを使える環境にあると思っているのだろうか。

そうそう恵まれた環境にいる人達ばかりではないということに頭が廻らないのだろうか。

 たしかに1つ1つは正しいかもしれない。しかしマクロの視点で見れば「合成の誤謬」ではないか。

 いずれにしろ「10のポイント」などはわざわざ「専門家会議」が言うことなのか。

「専門家」なのだから、もう少し気の利いたことを言って欲しいものだ。

2.「3密」会議の「専門家会議」への疑問

 「3密」を避けろ、人との接触を8割削減しろ、と言っている専門家会議の様子をTVで見ていると、

参加者達の席は2m開いているどころか1mも開いているかどうかの「密接」状態。

 会議をしている部屋にはメンバー以外に記録係等の官僚達も机と椅子を並べていて室内は「密集」状態。

窓だって開いている風には見えなかったから換気もいいとは言えないだろう。

 これって「3密」ではないのだろうか。言っていることと、やっていることが違う気がするけど、なぜ。

3.スーパー入場制限に対する疑問

     (中 略)

4.屋外運動自粛に対する疑問

 不思議なのは各地の公園などが閉鎖していること。例えば岡山の後楽園や香川の栗林公園。

さらに言えば岡山県森林公園までGW明けまで閉鎖になっている。

イベント開催時を除けば、これらの公園が「密集」したのを私は知らない。屋外だから密閉空間ではない。

 「3密」ではないのに閉園する必要があるのか。

それより屋内に籠もっている方が危険だ。戸外に出ず、家に籠もってばかりいればストレスがたまる。

ストレスは免疫力を下げると言われている。免疫力が下がればウイルス等へも感染しやすくなる。

 それを防ぐためには屋外での適度な運動が求められる。

それなのにわざわざ「ジョギングは少人数で」と言うのは皇居周辺のことを指しているのか。

 いずれにしろ屋内に閉じ籠もっているとストレスが高まり、死に結び付くと言われているが、

「専門家会議」の医師達がそのことを知らないはずはない。

 また高齢者の場合、認知症になる、認知症が進む確率が高くなるということも言われている。

5.免疫力アップを言わない疑問

     (中 略)

6.政府のカネの使い方に対する疑問

 今回、政府の対応でもっとも疑問を感じ、納得いかないのはカネの使い方。

「アベノマスク」に要した466億円は壮大な無駄遣いと言っていいが、

なにより問題だと感じるのは対策がすべて受け身の防戦なことだ。

 防戦には受け身一方の防戦と積極的防戦がある。

前者の防戦は退却一辺倒で、最後には尻に帆を掛けて総崩れになる。どうも今それに近い状態になりつつあるように思う。

 一方、後者の積極的な防戦は戦いながら退く戦法。

この場合、重要なのは殿(しんがり)を務める部隊の存在で、ここが強いか弱いかで全軍の帰趨が決まる。

 今回に即して言うなら最前線に踏み止まり戦っているのは医療関係機関、医療関係者である。

ここへの支援を優先的、重点的にすることにより相手の攻撃を防ぎ、国民はひとまず安全な場所まで退き、

残った医学関係者等は総力を挙げて反撃の準備をしなければならない。

 反撃の準備とはSARS-CoV-2の正体を探ることである。

彼を知り己を知らば百戦するも危うからず、という孫子の兵法を持ち出すまでもないだろうが、

まず相手のことを知らなければ有効な対策が打てない。

 データを集め、分析し、情報を共有する。そうしながら抗ウイルス薬、ワクチンの開発に全力で取り組む。

その後押しを国が全力でする。

 要は最前線で戦っている医療機関・関係者への人的、金銭的支援である。

ここに輜重を注ぎ込まなければならないのに、逆に彼らを孤立させている。

やっと遅まきながらも少しそちらに動き始めたが、焼け石に水というか、砂漠に水一滴程の効果もない。

 466億円を初期段階で医療機関・関係者に回し、彼らの活動を支えていれば、ここまで国民が怯え、

退却一辺倒になることもなかったのではないだろうか。

 もう一つ国民が安心できないのは感染者数と死者数の発表ばかりで、内訳の分析がないこと、

後方の医療機関の動きに対する情報が出されないからではないだろうか。

     (以下 略)

  全文はHPに収録、「まぐまぐ」からも配信しているので、そちらでどうぞ

栗野的視点(No.682):「COVID-19」報道に接して感ずるいくつかの疑問

 

 

栗野的視点(No.680)                   2020年4月14日
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「コロナ」一色世界は「合成の誤謬」を生まないか
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外出禁止でDVの増加

     (中 略)

合成の誤謬が起きる

 集団が危機に直面している時、外に敵を求めるのは、いつの時代にも取られてきた手法である。


「巨大な敵が攻めてきており、我々が存亡の危機に瀕している。こんな時に内輪で揉めている場合ではない。

全国民が一致団結して事に当たるべきだ」

「そうだ我々も多少の不自由は我慢すべきだ」

「こんな時に贅沢を言ってはいけない」

「我々にできることがあれば言って欲しい。協力する」

「感染者は隔離しなければならない」

「陽性反応が出ても症状が軽い人間は自宅待機で様子を見て欲しい」

「感染者が全員、病院に来ると医療崩壊を起こす」

 これら1つ1つは正しいし、その通りだと思うに違いない。だが、手放しで喜べないのも事実だ。

 1つは最初の小さな善意も声が集まり大きくなると、どんどんエスカレートしていくことはよく見られる現象で、

やがて自発的な善意が他者への強制へと変化していく。

非協力者は「非国民」と言われ、有形無形の圧力、差別を受けだす構図はなにも日本だけに限ったことではない。

 2つ目は限定的な権力集中が、危機が去った後も居残り続け、それが既成事実として定着していくことだ。

 そして、それらは既に現実のものとなりつつある。

 

  全文はHPに収録しているので、そちらでどうぞ

栗野的視点(No.680):「コロナ」一色世界は「合成の誤謬」を生まないか


法解釈を変更する危険性

2020-05-19 06:08:37 | 視点

栗野的視点(No.678)                   2020年3月18日
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権力者は災害を利用して独裁化を加速させる。
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変質したニッポン社会

  (略)

分断社会が独裁化の土壌

  (略)

 弱者への思いやりを欠いた社会はさらなる差別を生むことは様々な事実が示している。

弱者は他者にやさしくなると思われがちだが、実はその逆で、自分より弱者と

考えられる人を差別し、彼らより優位に立とうとする。

 人は平等な関係が維持されている時は強いリーダーを必要としないが、

社会が階層化されればされる程、強いリーダー=独裁者を受け入れる要素が強くなる。

自らが受けている服従、差別、社会的虐待といったものを、自分より下の階層へ

そのまま転化していくことで自らが受けている事態との間でバランスを取ろうとするからである。

  (略)

法解釈を変更する危険性

 「民主主義」国家では独裁化ははっきりと目に見える形では行われない。

それは一見ソフトな形で行われ、現在、一部の国で見られるような「ハードな独裁」

という形では現れないということは「栗野的視点(No.672)」で既述した通りである。

 ソフトな語り口で笑みを浮かべながら、様々な状況を捉えて巧妙に行われるから

よほど注意しないと騙される。

 世に独裁者と言われた人は最初から独裁者然として現れたわけではない。

最初は民衆の味方として、社会の難題を解決する救世主として、政治の混乱を収めた

名政治家として、新時代の革命児として現れている。

そして権力を掌中にした途端に仮面を脱ぎ捨て、軍を掌握し、国民を監視し、

私権を規制し、自分の思いのままに政治を操り出すのである。

 これは政治の世界に限らず、会社組織を含めたあらゆる組織で共通して見られることである。

 どのような人物であれ、権力の座に長く留まれば独裁化が始まる。

企業でも「中興の祖」と言われた経営者がいたが、ほぼ例外なく長期政権で、

トップの座に長く君臨し続け、人事を思うがままにし、組織を操つり、

陰では「老害」と言われている。

 近年、目に見えるハードな形の独裁を続けた経営者は日産自動車の

ゴーン元会長ぐらいで、これは逆に珍しい存在と言えるだろう。

 さて、この国の政治である。安倍政権は長期政権などと持ち上げられ、

その一方で政権に慢心と緊張感の緩みが目立つと批判されてもいる。

 これこそ独裁化への第一歩。長期政権=国民に支持という図式を作り、

故に何をしても許されると(意図的に)勘違いしてしまうのである。

 例えばこのところの閣僚の国会答弁には耳も目も覆いたくなる。

森法相に至っては本当に壊れたレコードかテープレコーダーのように、

同じことを繰り返し述べるばかりで、聞いていてイライラするが、

結局、言わんとするところは、その当時の解釈と今の解釈は違う。

法律の解釈を現政権に都合よく変え、検事長の定年延長をするということだ。

 法務大臣が法律の解釈を変える、ということを言っているわけで、

これがどれほど重要なことかを当の本人が理解していないところが怖い。

 さらに怖いのはマスメディアがそのことの危険性を声を大にして問題視し、

現政権はおかしいと指摘しないことだ。

 こんな重要なことを通り一遍の記事や報道で済まそうとするならメディアそのものもおかしい。

「ジャーナリズムは死んだ」とは以前にも書いたが、もはやマスメディアに

ジャーナリズムはないと言える。そして、そのことは二重に危険であり、恐ろしい。

 メディアの問題意識の希薄さは後述するとして、検事長の定年延長問題にもう少し触れてみよう。

 これは2つの問題を含んでいる。

1つは法の解釈変更の問題であり、もう1つは三権分立に関わる問題である。

 言うまでもないだろうが三権分立とは立法権、行政権、司法権を独立させ、

三権が1箇所(一人)に集中することによって起こる危険性(独裁化)を防ぐためである。

 司法権が行政を担う時の政権によって侵され、自由に操られるとどうなるか。

検察の独立性はなくなり、政権に不都合な事件は立件されず、与党議員はやりたい放題やれる。

 それは極端で、そんなことはない、と言われるかもしれないが、

司法の独立がなければ田中角栄はロッキード事件で逮捕されることはなかっただろう。

いや、そんな古い話はいい。もし検察トップの人事が政権の思うままに操られたら

「モリカケ」問題など問題にもされなかっただろう。今でさえ手心を加えたように見えるのに、だ。

 政権側が検察を味方に付けたいと思うのはどこも同じで、お隣の国、韓国では

代々、政権と検察の癒着が問題にされてきたため、検察改革を行う目的で

文在寅大統領が法務長官に任命したのがチョ・ググ氏。

ところが身内の不正で家族が逮捕され、チョ氏が就任間もなく辞任に追い込まれたのは

ご存知の通り。文大統領の検察改革は逆に検察組織に返り討ちに遭った形になったが、

見方を変えれば検察は三権分立を守り、政権に忖度しなかったとも言える。

 詰まるところ、三権分立が守られるかどうかは検察が政権と距離を置き、

独立性を保てるかどうかにかかっている。

日本の官僚組織は国を動かしているのは自分達だという自負があり、

政治家に動かされている風を装いながら実は政治家を動かしている面がある。

 それだけ自立心が強く、自分達の組織のルールは自分達が決めるとしてきたわけで、

それが長所でもあったが、安倍政権がそこに手を突っ込んできたから今後、

検察組織はどうするのか。黙って従うのか、それとも司法の独立を守る意地を見せるのか。

 それは組織としての検察の問題だが、これとは別に人の問題がある。

法の解釈を変更してまで定年を延長させられる方はどうするのか。

検察官の意地を見せ従来通りの定年で退官します、と辞める風はないし、

もともと安倍政権寄りと言われている人物だけに、むしろ定年延長に恩義を感じ、

より一層安倍政権に忖度した検察指揮を執るだろう。

 つまり今回の検事長の定年延長問題は

(1)法律は明文化された内容ではなく、政権が自分達に都合よく解釈でき(

2)人事も政権が好きにでき、三権分立は有名無実化されるということだ。

 これこそ独裁国家で見られる特徴である。

過剰に反応する各国リーダー

   (略)

災害が独裁化に利用される

   (略)

 

 

  全文はHPに収録しているので、そちらでどうぞ

栗野的視点(No.678):権力者は災害を利用して独裁化を加速させる。


この国の無責任体質が権力者の独裁化を許していく。

2020-05-16 18:23:45 | 視点

栗野的視点(No.675)                   2020年2月27日
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この国の無責任体質が権力者の独裁化を許していく。
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 一体この国はどうなったのだろうか。頭から腐るというが、まさにその通りで、

組織は上に倣えで、上のやり方を見て下は真似て行くから、上に立つものは

よほどしっかりと自らを律していく必要がある。

横行する公私混同、横領

 ところが、どうだ。国も企業も上が公私混同、私利私欲に走るから、当然のごとく

下は上を見倣い公私混同、公金の横領を行う。接待と称して会社の金で飲み食いする

ぐらいはカワイイもので、経理を任されているのをいいことに馬主になって馬に金を注ぎ込み、

ブランド物を買い漁り、挙句の果てには家まで買ったり豪遊するなど金を湯水のごとく使う。

 いまさら「公僕」という死語を持ち出すつもりはないが、官僚の矜持などどこ吹く風で、

政治家とつるんでスィートルームに泊まりながら、医学の進歩に必要な予算をバッサリ削り、

イケシャアシャアと国会で答弁する女性官僚の姿などを見せられていれば、

あんなのに比べれば自分の横領など大したことないと思っていたかもしれない。

薄っぺらな言葉ばかりが

 「国家の品格」という言葉が流行った時があったが、今、どこを探しても国家に品格などない。

それはこの国だけでなく、世界中どこも同じだろう。

国の「トップ」に品格がないのに、国家に品格が備わるはずがない。

 大体、言葉に重みと真実性がなくなった。

「スピード感を持って取り組む」「丁寧に説明していく」などという言葉は何度耳にしただろうか。

その度に、あっ、今まではスピード感を持って取り組んできてなかったのだとか、

「丁寧」とは「これ以上説明しない」ということと同義語なんだと思い知らされ、

理解させられている。

 最近は「丁寧に説明」すら言わず、「そのことは国会で報告した通りです」で済ませ、

それ以上の説明を拒否する姿勢が目立つ。

 国会で飛ばされるヤジが時々問題になるが、あろうことか政権トップの地位にいる者が

ヤジを飛ばす。それも一度や二度ならず。本来ならヤジを飛ばす与党議員を諫める立場だ。

それが率先してヤジを飛ばす。それも品がないヤジを。

 その彼が得意とするのは「ご飯論法」だそうだ。

「ご飯論法」とは「今朝、朝ご飯を食べましたか」と問われ、朝食にパンは食べたが、

ご飯(米の飯)は食べてないから「ご飯は食べてない」と答え、質問を都合よく

すり替えて答える答弁のことらしい。

 そういえば、かのご仁は質問に対する返答のすり替えが実にうまい。

いや褒めているのではない。皮肉っているというのはお分かりだと思う。

公文書破棄の次は法の身勝手な解釈

公文書の廃棄は独裁化への第一歩である。

記録文書がなければ過去の出来事や歴史は検証できなくなる。

検証は権力者の暴走を防ぐ砦なのだ。


 第一歩があれば、当然、第二歩が続く。では、第二歩は何か--。それは人事である。

 古今東西、人事こそが政権維持の絶対条件であり、自分が思うがままに振る舞える

必要条件である。故に周辺に意のままに動く人物、自らの意思を忖度して実行する人物、

それは多分に恩を着せた人物だったり、お友達だったりするわけだが、

そういう人間を配置しようとする。

 以前から最高裁判事は政権に好意的な人物を据えるということが当たり前のように

行われてきていたが、今回はさらに一歩進めて東京高検の検事長人事を

恣意的に行おうとしている。

 63歳と決められていた検察官の定年を延長し、安倍政権寄りの検事に検事総長就任の

道を開こうというわけだ。

 ここまで露骨な人事は過去に例を見ない。

そこまでして独裁化を進めようとしている理由は何なのか。

 ところが、それに待ったをかけたのが公文書の存在である。

政府の説明に反し、検察官の「定年、特例定年、勤務の延長及び再任用の適用は

除外される」と明記した公文書が残っていたのである。

 こうした文書が廃棄され、残されていなければ、いいように言い換えられ、

定年延長だろうが任用だろうが政権の都合で好き放題にできるということであり、

公文書の保存がいかに大事かということが分かるし、身勝手な法の解釈防止に

公文書の保存が一定の役割を果たしているといえる。

 逆に言えば、そうであるからこそ権力者は不都合な公文書を残したくないわけで、

保管期間を短縮しようと画策もしているわけだ。

 それ故、国民は公文書の保存や法律の改変に対し、もっと注視する必要があるだろう。

蔓延る無責任体質が独裁を許す

   (略)

 

  全文はHPに収録しているので、そちらでどうぞ

 栗野的視点(No.675):この国の無責任体質が権力者の独裁化を許していく。