くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

アントニオ猪木、そして山本太郎の「嗚呼、ホタル人生!」

2013年07月22日 | Weblog
彼らの当選を民主主義の負の側面あるいはコストと呼ぶべきか。

それとも、「民主主義の」と一般論化すべきではなく、その前に「日本の」と付すべきか。

いずれにしても、どこの世界にも自らの手で自身の首を絞めようとする“愚者”は存在する。


猪木、山本に投票した連中がさしずめそうした連中である。

ついでにいうならば、共産党に投票した連中も、コアなシンパはさておき、気分しだいで投票先をころころ変える連中か、民主支持層に紛れ込んでいた”リベラル”の皮をかぶった左巻き連中に相違ない。沖縄? あの連中はお気の毒なことに、地元メディアと教組の”エサ”か”ペット”みたいなものだから、とやかくいうだけバカらしい。それでも、一寸の虫にもじゃないが、戦争の犠牲者だ、安保の犠牲者だと声高に叫んで中央から金をせしめる知恵はちゃっかりもっているからやっかいだ。

さて、前述の二氏。猪木はもういい。どうせ余生だ。プロレスと同じく、あの存在自体がショーみたいなものなのだ。政治エンタメを具現化しているに過ぎない。うちゃっておけばそれでいい。

が、山本はまだ若い。実に気の毒なことである。これからの人生いばらだ。もう芸能界には戻るつもりはないのだろう。いや、それ以前に選挙戦中であったか、ずいぶん恩知らずなことを平気で言っていた。本人気付いていなかったら、痛い頭の持ち主としか言いようがないが、もうおいそれと「昔の名前で」みたいなことにでもなったら、それこそ、筋も通りもたたぬばかりか、男も立たぬ。

山本はこれまで政治を外からあれやこれや言う立場だったからよかった。探れば古傷の一つ二つもあろう。家族兄弟関係にお縄になったようなのもういたはずだ。バッジをつけてしまえば、周囲はこれまで以上に容赦なくあれこれと根掘り葉掘り仕掛けてくるはずだ。しかも、山本が攻撃する先はあまりにもその存在と力が大きい。気付いた時には、選挙の時には熱狂的に支持してくれていた連中がコロリと態度を変えていて、ころ無縁。6年後には人が集まらないなどということのはなりはしないか? いや、6年もてばよいが、本人自体が。

これがあの男の終わりの始まりになるように思えてしかたがない。政治の世界に身をとおじるべきではなかった、外からものを言い続けるべきだったと後悔した時には、既に彼の社会生活はどうしようもない状態に陥っている、それが数年後の山本太郎という男の姿ではないだろうか。

くれぐれも“プロ”の連中の餌食になり、抜け出そうにも抜け出せないということにはなりませんように。

でも、あの二人に死ぬ前のホタルの境遇を重ね合わせてしまうのは、私だけ?

合掌
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