一度、負のマインドに落ちると元に戻すのは困難だ。バックパッカー的に言えば、バッドに入った。つまり、そんな感覚である。黄昏のアフマダーバードで突如として里心がつき、宿に戻っても気持ちは晴れなかった。それどころか、気持ちはどんどん沈んでいき、食事に出るのも億劫だった。宿は比較的涼しく、居心地は悪くなかったが部屋は暗く、それほど清潔ではなかった。ベッドに寝転んでいると、どこまでも沈んでいきそうだった。
何か口にしなくては。
そう思い、時計を見ると時刻はもう20時を指していた。アーグラーで入退院してからというもの、めっきり食事が楽しくなくなった。衛生状態の悪いものを食べたら、また体調を崩してしまうのではという恐怖感があったし、ターリーという定食に飽きてきたのもあるかもしれない。ニューデリーから離れ、観光地から遠ざかると料理はローカル色が強くなり、それに伴って匂いも味もネイティブになっていった。それが自分の口に合わなくなってきたのかもしれない。
近所の定食屋に行ったが、案の定食事は楽しくなく、ターリーも残してしまった。その日は真っ直ぐ宿に戻り、早々に寝た。
翌朝、少し元気が出たところで出かけてみることにした。チャイ屋に行き、一杯の温かいチャイを飲むと、少しだけ気分が晴れた。そして思わず、チャイ屋の親父に訊いてみた。
「アフマダーバードでマストなスポットは?」と自分が尋ねると、オヤジは間髪入れず「ガンジーのアシュラムは行ったか」と返した。
ガンジー?インドの父、ガンジーか。
チャイ屋のオヤジは続ける。
「ここはガンジーにとって、インドにとって、歴史的な地だ」。
彼は誇らしげに言った。
ガンジーが始めた非暴力運動。「塩の行進」はこのアフマダーバードから始まったことは、実は帰国して知った。
「ガンジーのアシュラムは遠いのかい?」。
そう尋ねると、オヤジは笑顔で「バスですぐさ」と快活に言った。
バスターミナルに行くと、バスは一台もなかった。暇そうにしている若者に「ガンジーアシュラム」と尋ねると、素っ気なく指をさし、インド人特有の口調で「ナンバル5」と彼も素っ気なく言った。
インド人はRを「ル」と読む人が少なくなかった。例えば、「ウォーター」ならば、「ウォータル」、「モーターバイク」なら、「モータルバイク」など。「ナンバー」はよく使う単語なので、様々な人が「ナンバル」と言うのを聞いた。インドが長くなると、いつしか自分も「ナンバル」という単語を使うようになるほど馴染んでしまった。
その彼が指差す5番のバス停に行き、タバコを吸いながらバスを待っていると、やがてオンボロのバスがきた。エアコンなど当然ない、窓全開のバスだ。運転手に「ガンジーアシュラム?」ときくと、「そうだ」とうなづいた。
バスに乗り込み、空いている席を見つけ、腰掛けた。車内には老若男女、様々な人が乗っていた。だが、どうやら外国人は自分だけのようだった。驚くことにバスの座席はクロスシートだった。アジアのバスは総じてどれもボックスシートである。日本のように近距離のバスはなく、いずれも比較的遠くまで客を乗せるからだろう。そのシートに腰を下ろすと、隣のインド人と肩が触れた。にっこり彼に笑いかけると、おじさんも笑ってくれた。
バスはしばらく街中を走っていたが、困ったことに気がついた。アシュラムのバス停名が分からないことに。
さぁ困った。一体どこで降りればいいのだろう。
さて、インドの人達がRを「ル」と読む件だけど、俺の印象に強いのは、「ミスタル=Mr.」だったなあ。客引きとかからもう、ほぼ毎日のようにいわれたもん。
あと、インド滞在が長くなることによる、「全ての食物カレー味攻撃」(笑)には、耐えられなくなる外国人旅行者は多かったよね。
俺も、大した滞在日数ではない癖に、早々にネパールへとチベット料理(中華源流)を求めて行ったからね。
スナックからお菓子から飲み物まで、高確率で何らしかのスパイスが入ってて、厳密には使用スパイスが違うから一概にカレー味とは言えないんだけど、毎日だともうカレー味でしかなく、逃げ道がほぼなかったからしんどかったよなあ。
俺はヨーグルトかラッシー、ノンスパイス炭酸飲料やアイス、海外ブランドのスナック菓子でなんとかしのいでたなあ。
ミスタル。
あ、そうだった。よく聞いたね。忘れてた。
はじめは何言ってるか、分からなかったよ。ナンバルとか、ウォータルとか。ウォータルはどちらかといえばワータルに近い発音だった。
日本人のLの発音も馬鹿にされてるんだろうね。
「アップル」とか。
食事は今後の展開の重要なキーワードになるんだけど、苦労したよ。旅は飯が重要だということを痛感したなぁ。
こういったしょうもない嘲笑とか低レベルの差別とかが、ゆくゆくは戦争へとつながるんだろうなと当時思ったよ。
まあ、その時は発音だけでなく、他にも担当空港職員の馬鹿にする態度が全面に出てたから、すげえ腹立ってそんな風に思ったんだよね。
ただその後、「お前らもミスタル言うてるやないかっ!」て、同じように思ってたから、自分も同罪とも言えるけどね。
でも、これを嘲笑でなく、お互いのちょっとした個性として笑いに変えられたりした時点で、むしろ円滑なコミュニケーションのネタにもなるということもあるよねえ。
あと、旅の飯、とても重要な楽しみでもあるから、ホント大切だよね。食が合わないとその国での旅の行程が全然楽しくなくなるもんなあ。
バックパックがいきなりなくなったんだったね。結局、出てきたんだっけ?
しかし、失礼だよね。荷物がないのに、それとは関係ない発音をあげつらって。しかも、馬鹿にした態度。日本では考えられないよ。
自分もシンガポールでバックパックが開けられていてカメラがなくなっていたのを申告した時、シンガポール航空の担当のおばちゃんにクレームしたら、「日本人は英語が下手」とか言われて、同僚とともに大笑いされたよ。こっちは被害者なのに。
昔、シンガポール航空って乗ってみたい航空会社の一位だった頃もあったけど、自分は最悪だったなぁ。
早朝の便で、ドリンクにビールを頼んだら、CAが素っ頓狂な声で、「ビア〜?」って聞き直されたし。
インドの食べもの対策はこれから更に過酷になっていくので、注目してくれたら嬉しいよ。
で、結局の所、補償料とか入ったんでプラス収支になった。まあ、旅程が伸びても何も問題ないからだけど、普通はたまったもんじゃないよねえ。
今思えば、ロストバゲージ担当の人とか、常に顧客にめっちゃ怒られてるだろうから、時として逆襲できる機会が有ったりしたら、そこをつきまくって日頃のストレスを発散してるんだろうなあとも思う。
まあ、そんな事するから、また、次に逆襲されるんだけど。あんな事された俺が、次、ロストバゲージした時に、いい感じで最初から接するであろうことはほぼないからね。
悪い意味での因果応報ってやつだね。
あと、日本人は英語がヘタって当たり前だよね。日本において日常生活で必要ないし、常にビジネスで使うとか以外では、無駄に頑張って良い発音する必要もないと思うし。分かればいいよねえ、分かれば。
客室乗務員とかならもう日本人がビアーをビールっていうことくらい承知した上で許容しろよって思うよ。
ま、師のビールの件もちょっとしたCAの嫌がらせなんだろうけど・・・。やだねえ、ホント。お互い気持ち良くコミュニケーションしたいよね。
ただ、愛のある発音の直しもあったなあ。おフランスで世話になった人のお母さんに、ボンジュールの発音をめっちゃ直された時があったけど、そこには嘲笑はなく、愛があったよ。
でも、最終的には、「もうあんたにいくら言っても無駄。」って匙投げられたけど。それもちょっとまじに怒り気味で。
でも、それでもそこに少しでも愛があると、こっちも腹は立たないんだよなあ。
インドの、特に観光地でない場所での食べ物対策って、ほんと苦しそうだよなあ。どんな風に師が乗り越えていくのか楽しみにしてるよ。
クレーム係もある程度、強くないとね。舐められたらダメって言うのはあるかも。日本みたいにお客様は神様っていう思想じゃないと思うし。
愛のレッスン、いいね。
その様子が目に浮かぶよ。
いつか昔、師に「おおきに」のイントネーションのレッスンを受けたな。ダメ出しばかりだったけど、今思えば、愛を感じるよ。