
訪問先を間違えなければ、この店を知ることもなかった。
ぼくは、取材先に伺うため、魚住の駅を降りた。ところが、取材先には店舗が2つあった。
この日、ぼくは取材対象者がいる店とは違う店舗に向かったのだった。
その時、見つけたのが、この「川木酒店」である。
ぼくには、なんとなくピンとくるものがあった。
角打ちの予感というものだろうか。
店の中を覗くと、やはり角打ちだった。
テーブルの上に、手書きで「立ち飲みは5時から」と書かれたボードが乗っていた。
「仕事が終わったら寄るか」という予定は必ずしもうまくいくわけではない。
イレギュラーなことがいくつも起きては、予定を頓挫させる。
この日も、仕事が終わると、先方から、気を利かせていただき、西明石の駅まで送ってもらった。だが、そこで美人姉妹がきりもりする「どりーむきっちん」という立ち飲みを見つけて、気持ちよく飲んだ。
人生なんて、こんなもんだ。
人生万事塞翁が馬なのである。それは因縁とも言い還られる。
明石に行く機会はそうそうない。
けれど、それから約2年後、再訪が叶ったのである。
17時を過ぎた「川木酒店」には、2人の先客がいた。
その中に入って行くのは、勇気が必要だった。お店は商売ベースではなく、極めて個人的にやっていらっしゃる感じに見受けられた。
ご隠居さんらの集いの場。
つまり、夕方酒が飲みたくなっても、ご隠居さんの立場上、難しい場面もあるだろう。だが、「散歩に行ってくる」と出掛けて飲む場があれば、事はまるくおさまるのだ。しかも、飲み友がいればなおいい。
ローカルな角打ちは、公共性の機能がある。
さて、店の前まで来て、そんな思いに捕らわれ、ちょっと躊躇したが、ここは決心して入店することにしたのだった。
「ちょっと飲んで、すぐ帰ろう」。
そう思って、店に入った。
先客の御大らと店のおじさんは予想どおり、わたしの乱入に戸惑いを見せた。
おしゃべりが途切れたのだ。
やっぱり、パスタイムを邪魔しちゃったんだなと少し後悔した。
ぼくは瓶ビールをお願いした。ここは注文という言葉は適当ではない。
飲ませていただいてると考えたほうがいい。
キリン一番搾り。しっかり冷えている、その瓶を握り、小さなコップにそれを注いだ。
こぽこぽと音をたて、ビールは泡立った。
それを一息で、ぐ~っと飲み干して、一日の時間を思い返す。
角打ちの良さはここにある。ジョッキに注がれた生ビールでは、ここまで深い思い返しをしないだろう。
ともあれ、ビールを飲んで一息つくと、気持ちにゆとりが出た。
ちらりととなりに立つ御大らに、かるく挨拶をした。これは重要なことである。
自分がいる世界で、もし自分が生きづらいと感じるなら、それは自らの行動で変えていくことは可能ではないだろうか。
少なくとも、ぼくが挨拶をしたことで、場は少し和らいだ。
「お兄さん、どっから来たの?」「あ~、東京ね」「いつ帰るの?」「今日?もっとゆっくりしてきなよ」。
そんな会話がしばし、交わされたのである。
ビールのお供に「明石焼き」(640円)をいただいた。
仕込んでいたものをチンしたが、そこは手作りだから、本当においしい。
ローカルフードは現地にて食べるに限る。
「明石焼き」にまぶされた三つ葉が口のなかでアクセントになっていた。
なんとも不思議な時間である。
居酒屋ならともかく、店というより、半分他人の家で飲んでいるようだ。
だから、少し心細く頼りない気持ちもあるが、この時間はボクだけのものだ。
瓶ビールを一本飲み干し、ボクは店を出た。
「お邪魔してすみません」。
「いや、なんもなんも」。
こういう会話が角打ちでの一番の肴なんだと思う。
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