
9月1日、関東大震災の発生から100年の節目を迎えた。
死者、行方不明者10万5,000人、東日本大震災の約4倍もの犠牲者を出した未曾有の災害である。このうち、最も死者を出したと言われるのが、現在の横網町公園が立地する場所で約3万8,000人もの犠牲者を出した。
にわかに信じられない。
Wikipedia によると、「16時頃、地震で発生した火災による熱風が人々を襲った」とある。その同じ時間帯に地下鉄を降りて地上に出ると、両国駅から公園に続く沿道には屋台がずらりと並び、人々は楽しそうに行き交う光景が目の前に広がる。
100年前、ここは阿鼻叫喚の地獄絵図となったのか。全く実感が湧かない。慰霊堂には、その火炎旋風を描いた絵が飾られているが、全くピンとこないのだ。
公園に足を踏み入れるとものものしくピリピリとしていた。
「レイシスト帰れ」のシュプレヒコール。
この日、日朝協会などが開催した追悼式典の後、「日本女性の会・そよ風」が集会を実施しようとした際、小競り合いが起きた。「そよ風」は2019年に行った集会でヘイトスピーチが確認されたヘイト団体である。集会に反対する作家らが、都に「そよ風」への利用制限を要請したところ、都は集会の許可を与えていた。
「そよ風」の集会は約40分ほど行われた後、安田学園側の出入口より、逃げるように解散した。その際、集会の反対を訴える反対派からは怒号と拍手が起こった。
「そよ風」は当初、朝鮮人犠牲者追悼碑の前で集会の開催を行う予定だったが、反対派との間で衝突が起き、急遽庭園での集会となった。庭園の周囲には柵が設けられ、警官が配備された。
朝鮮人犠牲者追悼碑は1973年に都議会全会一致で建立が決まった経緯があるが、「そよ風」は碑の撤去を求めている。こうした動きは、「群馬の森」に建立された碑を巡る動きにも似ている。都政、県政のリーダーの姿勢もそこにはあるだろう。
100年という長い時間が流れたが、今もまだ日本と朝鮮半島の課題はなんら変わっていないことが改めて浮き彫りになった。この危うさは、また大きな災害が起きた際、何らかの差別感情が爆発すれば、また同じようなことが繰り返されり火種を残している。
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