
7月6日(昨年の話しです)から始まった長い76日間が終わる。
「ようやく」と言うべきか、それとも「早かった」と言うべきか。
明日、妻と子が帰宅するのである。
この間、行った酒場がちょうど50軒。ほぼ毎日どこかの町で飲んだくれていたわけだ。
毎日飲んでいたおかげですっかりこのブログも次々周回遅れとなってしまった。今や、8ヶ月以上も前のことを記しているのである。
さて、その記念すべき最後の夜は、当ブログの居酒屋放浪の原動力であったホッピー研究会(ホピ研)の活動で幕を閉じたいと思う。
なにしろ、明日になればおっかない妻に加え、2歳の賑やかな娘と生後一月余りの新生児との暮らしが再開する。もうおいそれと飲み歩くこともできないだろう。
事実上、今回が「居酒屋放浪記」の最終回である。
「神谷バー」を出ると、怪鳥は何かに憑かれるように浅草の町を歩き始めた。
仲見世を通る。そういえば、浅草寺は今年が再建からちょうど50周年の節目だ。
「伝法院通り」に出た。
近年、江戸町風にリニューアルされ、ドラマ「あんどーなつ」の舞台にもなったあの通りだ。
なるほど、通りは本当に美しい。
かつての江戸の町もこんな風景だったのかと思いを馳せる。
そして、「伝法院」の角を曲がると、今度は赤提灯の並ぶ通りに出る。
そう、ここがかの有名な「ホッピー通り」。
50mほどの短い小道だが、左右両脇の店舗は全てが居酒屋だ。
その名の通り、この通りはホッピーこそがメインドリンク。通りの路面は先人たちが競馬で流した歓喜の涙と、悔恨の涙、そしてその拍子にこぼれたとめどもないホッピーが沁みこんでいる。そのため、一歩、通りに足を踏み入れるとムゥっとするホッピー臭に体は包まれるのだ。
怪鳥はなおも歩を進めていき、通りの中央、左側の店で足を止めた。
「鈴芳」。
「生ホッピー、ウマイっす」。
草野球のチームメイトT田さんがよく口にする店だ。
どうやら怪鳥もこの店を贔屓にしているようだ。
だが、その「鈴芳」も今日は早仕舞い。
なにしろ、この日は雨が降りそぼり、いかにも寒々しく、通りはお客が少ない。
既に店を畳んでいるところもあって、通りはやや閑散としていた。
怪鳥は「鈴芳」から2軒隣の「大勝」に歩を進め、「ここにしよう」とわたしに言う。
反対する理由など何もないから、わたしは黙って彼の後に尾いていくだけだ。
「オープンテラス」と言っては語弊がある。
だが、他に適当な表現が思いつかない。
店内だけでは収容しきれないお客を店頭の道端にせり出してテーブルと椅子を用意している。
ホッピー通りのお店はたいていがこのスタイルだ。
「大勝」も例に漏れない。
だが、今晩は余りにも客が少ない。
店舗内に1名、野外席に2名に我々。
そして、我々はテラス席に腰掛け、ホッピーと「牛すじ煮込み」を貰ったのだった。
ホッピーは瓶づめ。グラスは冷えていない2冷だ。
それでもとびきりホッピーがおいしく感じるのは、この場所がホッピーにとって特別なところであるからだろう。
居酒屋放浪の最後の夜をこうしてホッピーを象徴する地で飲めるとは…。
そして、またわたしの涙がホッピー通りの路面に滴り、沁みていくのだった。
据え付けのテレビからは讀賣VS阪神。
ペナントレース最終盤に入って、まさかの失速のタイガース。辛うじて、首位の座を堅持しているが、それももはや風前の灯となっている。
マウンドにはジェフ。
タイガースが誇るリリーフ陣、JFKの一角が登板している。
わたしは追われる者の弱さを知っている。
あれは96年のペナントレース。
忌々しき「メイク・ミラクル」。
それ以上は、もう何も言わない。いや、何も言えない。
「大勝」もそうだが、ホッピー通りには韓国家庭料理を標榜する店が多い。
メニューにも「ホルモン焼き」(700円)、「ナムル」(400円)といった品が目に付く。
それにしても、縁起のいい名前だ。
競馬開催日の同店の様子をわたしは知らないが、恐らく今野球中継を放送しているテレビからはグリーンチャンネルが放送され、多くの競馬ファンでごった返していることだろう。
浅草のウインズはすぐそこなのだ。
何しろ、「大勝」は朝10時開店。もちろん土日も同様である。
実は、4月の終わりに浅草に行く機会があった。
その日は祝日で競馬の開催はなかったが、同店は午前中から大盛況だった。さすが、年間3000万人もの環境客が訪れる浅草である。
「煮込み」も充分すぎる程においしかった。
毎日、午前中から営業しているだけに、煮込みの鍋の火は消えることがないのだろう。
二本目のホッピーでわたしの舌はもつれはじめた(中は4杯おかわり)。
そして、長く果てしないと思っていた居酒屋を巡る旅も終わりに近づいてきたようだ。
明日、我が家には「お騒がせ娘」(ホッピーミーナではない)と生まれたばかりのチビ助が帰ってくる。
あぁ、なんという夜なのだろう。
このまま、夜が永遠に終わらなければいいのに。
そうして、また一粒、わたしの涙がこのホッピー通りに滴り落ち、アスファルトを潤すのだった。
「ようやく」と言うべきか、それとも「早かった」と言うべきか。
明日、妻と子が帰宅するのである。
この間、行った酒場がちょうど50軒。ほぼ毎日どこかの町で飲んだくれていたわけだ。
毎日飲んでいたおかげですっかりこのブログも次々周回遅れとなってしまった。今や、8ヶ月以上も前のことを記しているのである。
さて、その記念すべき最後の夜は、当ブログの居酒屋放浪の原動力であったホッピー研究会(ホピ研)の活動で幕を閉じたいと思う。
なにしろ、明日になればおっかない妻に加え、2歳の賑やかな娘と生後一月余りの新生児との暮らしが再開する。もうおいそれと飲み歩くこともできないだろう。
事実上、今回が「居酒屋放浪記」の最終回である。
「神谷バー」を出ると、怪鳥は何かに憑かれるように浅草の町を歩き始めた。
仲見世を通る。そういえば、浅草寺は今年が再建からちょうど50周年の節目だ。
「伝法院通り」に出た。
近年、江戸町風にリニューアルされ、ドラマ「あんどーなつ」の舞台にもなったあの通りだ。
なるほど、通りは本当に美しい。
かつての江戸の町もこんな風景だったのかと思いを馳せる。
そして、「伝法院」の角を曲がると、今度は赤提灯の並ぶ通りに出る。
そう、ここがかの有名な「ホッピー通り」。
50mほどの短い小道だが、左右両脇の店舗は全てが居酒屋だ。
その名の通り、この通りはホッピーこそがメインドリンク。通りの路面は先人たちが競馬で流した歓喜の涙と、悔恨の涙、そしてその拍子にこぼれたとめどもないホッピーが沁みこんでいる。そのため、一歩、通りに足を踏み入れるとムゥっとするホッピー臭に体は包まれるのだ。
怪鳥はなおも歩を進めていき、通りの中央、左側の店で足を止めた。
「鈴芳」。
「生ホッピー、ウマイっす」。
草野球のチームメイトT田さんがよく口にする店だ。
どうやら怪鳥もこの店を贔屓にしているようだ。
だが、その「鈴芳」も今日は早仕舞い。
なにしろ、この日は雨が降りそぼり、いかにも寒々しく、通りはお客が少ない。
既に店を畳んでいるところもあって、通りはやや閑散としていた。
怪鳥は「鈴芳」から2軒隣の「大勝」に歩を進め、「ここにしよう」とわたしに言う。
反対する理由など何もないから、わたしは黙って彼の後に尾いていくだけだ。
「オープンテラス」と言っては語弊がある。
だが、他に適当な表現が思いつかない。
店内だけでは収容しきれないお客を店頭の道端にせり出してテーブルと椅子を用意している。
ホッピー通りのお店はたいていがこのスタイルだ。
「大勝」も例に漏れない。
だが、今晩は余りにも客が少ない。
店舗内に1名、野外席に2名に我々。
そして、我々はテラス席に腰掛け、ホッピーと「牛すじ煮込み」を貰ったのだった。
ホッピーは瓶づめ。グラスは冷えていない2冷だ。
それでもとびきりホッピーがおいしく感じるのは、この場所がホッピーにとって特別なところであるからだろう。
居酒屋放浪の最後の夜をこうしてホッピーを象徴する地で飲めるとは…。
そして、またわたしの涙がホッピー通りの路面に滴り、沁みていくのだった。
据え付けのテレビからは讀賣VS阪神。
ペナントレース最終盤に入って、まさかの失速のタイガース。辛うじて、首位の座を堅持しているが、それももはや風前の灯となっている。
マウンドにはジェフ。
タイガースが誇るリリーフ陣、JFKの一角が登板している。
わたしは追われる者の弱さを知っている。
あれは96年のペナントレース。
忌々しき「メイク・ミラクル」。
それ以上は、もう何も言わない。いや、何も言えない。
「大勝」もそうだが、ホッピー通りには韓国家庭料理を標榜する店が多い。
メニューにも「ホルモン焼き」(700円)、「ナムル」(400円)といった品が目に付く。
それにしても、縁起のいい名前だ。
競馬開催日の同店の様子をわたしは知らないが、恐らく今野球中継を放送しているテレビからはグリーンチャンネルが放送され、多くの競馬ファンでごった返していることだろう。
浅草のウインズはすぐそこなのだ。
何しろ、「大勝」は朝10時開店。もちろん土日も同様である。
実は、4月の終わりに浅草に行く機会があった。
その日は祝日で競馬の開催はなかったが、同店は午前中から大盛況だった。さすが、年間3000万人もの環境客が訪れる浅草である。
「煮込み」も充分すぎる程においしかった。
毎日、午前中から営業しているだけに、煮込みの鍋の火は消えることがないのだろう。
二本目のホッピーでわたしの舌はもつれはじめた(中は4杯おかわり)。
そして、長く果てしないと思っていた居酒屋を巡る旅も終わりに近づいてきたようだ。
明日、我が家には「お騒がせ娘」(ホッピーミーナではない)と生まれたばかりのチビ助が帰ってくる。
あぁ、なんという夜なのだろう。
このまま、夜が永遠に終わらなければいいのに。
そうして、また一粒、わたしの涙がこのホッピー通りに滴り落ち、アスファルトを潤すのだった。
…すんません、こんな感想しか書けなくて…表現力乏しいわ、私(泣)。
明日からは、夫として父親としての生活がまた始まるんですね。
では、妻と子どもらをさしおき、居酒屋放浪の道を歩む男はどうなんでしょうか・・・。
「シブい」の対義語って・・・。
う~ん、しかし・・・。
お元気でしたか?
たまに神田に出没されている噂を聞いていますよ。
さて、最終回とした居酒屋放浪記、今後どのような展開になるのでしょうか。
実はわたしも先が読めないというのが本音です。
酒場に行けば、もちろん書きますよ~。
今p、南砂町から西葛西まで歩きましょうか?そして、西葛西に立ち飲み屋を探しに行きましょうか?
半年もたてば、子供って大きくなるんだろうな~って思います。
これからは「育児blog?!」なんちゃって(笑)。
こないだ、娘から「お父さんは毎日ビール飲んでるの?」と唐突に聞かれました。
「そうだよ」と答えつつもなんか後ろめたくなりました。
上の子とはこんな会話ができるようになりました。
「育児ブログ」、いいですね~。
子どもが熱を出して、保育園を休ませなきゃいけない日なんて闘いですよ。
妻かわたしのどっちか休まなきゃいけないのですから。
会社に連絡するのになんと勇気がいることか。
「意気地なし父さんの育児ブログ」なんてのも面白いかもしれません。
たまたま最終回を読んで、なんかしんみりとしてしまった。楽しそうな店にたくさん行っていていいなあ。一緒に飲みたい。
京都ではどのあたりに行けば、そういう店に出会えるだろうか。。
こないだは申し訳なかった。せっかくの機会だったのに・・・。
こっちもなかなか京都方面の出張がなくて、そっちにいけない状況だよ。
その様子だと京都ではまだいい酒場を見つけてないようだね。
大衆居酒屋でゆっくり近況を語りあいたいね~。
しかし、「感動した!」とは!
小泉純一郎かいっ!(笑)少しは文章、上達したのかな?
その感動?の最終回なんだけれど、実は今日再び最終回を掲載するよ。
なかなか居酒屋ライフに終止符を打てないんだ。