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オレたちの「深夜特急」~中国編 大理~

2007-02-01 15:09:14 | オレたちの「深夜特急」
 1月17日、昆明を出発し、大理へ向かう段になって、嬉しい再会があった。
 神戸から上海に向かう船上で出会い、香港まで旅を共にしたM浦さんと汽車站、つまりバス乗り場でばったり再会したのだった。
 クリスマス前の香港で別れたM浦さんはその後、実弟と会うために上海までとんぼ帰りしたのだという。そして、周辺地域を観光した後、昆明へと乗り込んできたとのこと。
 偶然にも、これから大理へ向かうのだという。いずれにせよ、嬉しい再会であった。
 
 バスの中では、おおいに話しが弾んだ。
 これまでの道中のこと、今、向かっている大理のこと。殊、大理に関しては、既に何度もM浦さんは訪れているようで、飯事情から、町の見所までとても詳しかった。
 このため、昆明からの10時間の旅はアッという間に過ぎていった。
 
 雲南を旅する者にとって、大理は外せない名所であった。
 物価の安さと、温暖な気候、そしてハシシである。このため、大理で沈没するバックパッカーが多いことは噂で聞いていた。また、大理のように、中国の南西の果てまで行くと、漢族の姿が極端に減る。そこには山岳民族や少数民族が暮らしており、人々が優しい、というのも長期旅行者に人気があった理由だろう。
 ともあれ、わたしは1月末までのヴェトナム入国までまだだいぶ時間を残しており、雲南の地を往ってみようと思ったのである。
 
 早朝、昆明を出たバスが、大理の古城に着いたのは、夕方4時くらいになってのことだった。
 さすがに、M浦さんは、大理の町を知り尽くしていた。大理の汽車站を降りると、すぐさま宿の方角へと歩き始めた。黙って、その後を追うとやがて白い集合住宅のような建物にたどり着いた。
 そこは「二招」と呼ばれるゲストハウスで、沈没した日本人の溜まり場と化した宿だった。M浦さんは、ズカズカと建物の中に分け入り、2階のある部屋の前まで来ると、躊躇うことなく、ドアをノックした。
 すると、やや間があって、中から長髪のいかにも、といった日本人が出てきた。
 「やぁ」と弱々しい声を発した後、わたしとM浦さんを中に通してくれた。
 一見したところ、その男の歳は分かりかねた。だが、わたしより一回りも上であろう。
 その男の態度はやけに横柄だった。
 それは、長年旅を続けてきた、という彼の自負心がそうさせているようだった。
 彼はベッドの下からハシシを取り出すと、火をつけてゆっくりとくゆらせはじめた。やがて、我々に差し出して盆を回すように促した。
 2回ほど、ハシシが回ってきたところで、わたしは降りた。
 彼の話しがやけに退屈で、先輩風を吹かす胸糞悪さすら覚えたので、その部屋を出ることにしたのである。
 
 彼の話しによると、ここ「二招」と呼ばれる宿には沈没した日本人が十数人ほど集まっているようだった。
 沈没して、その地に留まることはちっとも悪いことではない。むしろ、定点観測できる余裕と、その地を愛する強い気持ちが旺盛だという証しだ。だが、彼の話しを聞いて、うんざりしたのは、前に進む好奇心が目に宿っていなかったからである。口をついて出るのはあらゆるものを否定しようとする言葉だった。それを聞いていると、何だかつらい気持ちになった。
 M浦さんは、この宿に泊まる積もりでここを訪れたようだが、わたしは別の宿を探すことにして、席を立った。二招にいる日本人が全て、彼のようではないのだろうが、あまり関わりたくもない気がした。
 わたしは二招を後にした。
 
 さて、どこへ行こうか。
 わたしはフラフラと歩き出し、とりあえず最初に付いた大理の汽車站まで戻ることにした。
 途中、何件かの食堂を通り過ぎた。
 「太白楼」、「ハッピーカフェ」。バックパッカー向けの飯屋は、西洋風にしつらえられ明るい雰囲気を漂わせている。そして、これらの店の店頭にはたいてい日本語で何かが貼り紙されていた。
 「日本語のメニューあります」。
 中には、「かつ丼」や「焼きそば」といったものまで用意されているようだった。
 わたしはげんなりした。
 あまりにも町並みが俗っぽいからである。
 
 汽車站に着いて、気持ちを振り出しに戻した。
 何件か軒を連ねている商店に入ってまず、わたしはタバコを買った。
 すると、店に居合わせた女性と偶然目が会った。
 旅行者風である。
 私が「こんにちは」と日本語で挨拶すると、怪訝そうな顔をした。
 日本人のようにも見えたが、そうではないらしい。
 「イ尓是中国人ロ馬?」
 今度は中国語で尋ねると、彼女は英語で「わたしは韓国人です」と答えてきた。
 韓国人のバックパッカーもだいぶ増えているようだった。
 わたしは、「どこに泊まっているんだい?」と尋ねると、「サニーだよ」という。どうやら、ドミトリーで一泊10元らしい。
 「そこはいい?」と返答に困るような質問をすると、「これから、わたしも宿に戻るところ、一緒に行こうよ」と言った。
 わたしはお礼を言いながら、韓国人女性の後に続いた。
 
 これが、わたしとキム・ウナの出会いだった。

 ※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん氏と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。

 

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