
「こんな仕事は早く終わらせてしまいたい」
そしてまた1年が巡ってきた。
千住大橋の駅を降り、橋の北詰から現場を歩く。この道を通ると、心の中に低い慟哭のような彼の唄が必ず聞こえてくる。
「まるでボクを殺すために働くようだ」
もしかすると、あの日、彼はこの唄を歌いながら、へべれけの千鳥足でこの道を通ったのかもしれない。
だって、今その道をなぞるように辿ると、彼の魂がボクに寄り添ってくる。
新譜のレコーディングを終え、リリースまであと僅かだったあの日。
OZAKIハウスはもうないという。
その前年、小峰さんは週刊誌上にてOZAKIハウスの改築に関してこう言っていた。
「もう卒業しないと」。
ボクは違和感を覚えた。
もちろん、この言質だけとって語ることはできないけれど。
普遍的なものに卒業などないのである。
そんなことを思いながら、「やっちゃば」の横を通り、そして今年も来てしまった。
OZAKIハウスはもうなかった。小峰さんのご自宅はきれいに改築されていた。
旧OZAKIハウスの前まで来ると唄が変わった。
「夜の街、ビール片手に今日の痛み抱きしめて」
やっぱり、遺作からの曲。
あの日、確実に彼はここで歌っていたのだ。
手を合わせ、ボクは元来た道を引き返さず、東武線の駅へ向かう。
曳舟の「三祐酒場」へ。
この酒場がいよいよ閉店を迎えるという情報をボクは東京新聞で知った。
4月末で85年の歴史を閉じるという。
昭和元年創業。
いわゆる下町のハイボールを生み出したお店であるという。つまり、元祖ハイボールの店。
新聞を読んだボクは、こうしてはいられないと思い、出かけてきたのだ。
伝統的な店構えかと思っていたが、外観は新しい。暖簾は古くて、重みを感じる。
閉店を惜しむ人が大挙しているのではないかと構えて行ったが、拍子抜けした。案外、すんなりと入れたからである。
カウンター席に座る。やはり一人客が多い。
「焼酎ハイボール」(300円)と「煮込み」(450円)をいただいた。お通しは「ほうれん草のおひたし」(50円)。
焼酎ハイボールは2種類。プレーンと白。白の方が40円ほど高い。プレーンはアンバーでレモンのスライスが浮かぶ。独特のエキス。
これが秘伝のハイボール。実にうまい。
カラカラとグラスに響く氷の音が心地よい。
多角形のカウンターの向こうにおばさま方。何年もこの店を支えた方々なのだろうとボクはしげしげと見てしまった。そんな客の視線を彼女らは見逃さない。
ついつい、「ポテトサラダ」も頼んでしまった。
しかし、この風景、落ち着くなぁ。
やっぱり、居酒屋は「お母さん」でないといけないと思う。
「煮込み」も「ポテサラ」も手作りでおいしい。人の体温が伝わってくる。
とくに「ポテサラ」。黄色がかったそれはジャガイモの品種か。それともマヨネーズの色か。
あと数日で店をたたむという悲壮感はない。だが、85年も続いた灯が消えるのは、やはり寂しいだろう。
それも、駅前の区画整理という理由ならば無念さもあるかもしれない。
東京新聞に掲載された女将の談話。
「この曳舟もただ寝に帰るだけの町になってしまうんですかね」。
ボクは何杯も「焼酎ハイボール」をおかわりしたけれど、酔えなかった。
飲んで飲まれまくって、どこかの家の庭で倒れてもいいと、いつも思っているのに。
店を後にした。
もうこの店に来ることはない。
OZAKIハウスがなくなり、「三祐酒場」もその歴史に幕を閉じる。
「変わらないもの」
「街にはないけど」
それでもいい?
そう。
ボクらはその移ろいの中に生きている。
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