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BASEBALL馬鹿 BLOG

2Years later - 南相馬市小高地区より -

2013-04-04 02:08:37 | Weblog
あの日と全く同じ感覚だった。
後頭部の隅っこでチリチリとする鈍痛が常にあって、目に映るあらゆるものが、反転した写真のように視界に浮き出てくる。

慣れないクルマの運転をしたせいかもしれない。
まさか、頭の中のガイガーカウンターが強烈な放射線量に反応したってことはないだろうが、とにかく後頭部が異様に重く、誰かがチリチリと囁いているようだった。

ちょうど、2年ぶりの被災地。
2011年、震災から3週間たった4月3日、知り合いのつてでボクはまだデコボコだった東北道を北上した。
それから2年、復興に立ち向かう業界人の話を聞こうと企画した取材は、どういう因果か、ちょうど2年後にスケジュールが組まれることにになった。

福島に入り、ナビゲーションを頼りに東へ。
激しい雨はごうごうと降りかかり、最速のワイパーでもフロントガラスは拭ききれない。
電話で事前に問い合わせた南相馬市の取材先は「ガイガーカウンターをお持ちですか」と尋ねてきた。

福島第一原発まで10km地点まで迫る。
そこから先は帰還困難区域だった。
地の果てまで来たと思った。
いや、地獄の入口まで来たと思った。

取材先の南相馬市小高地区もこの世の終末を思い起こさせた。
誰も人がいない。
家は朽ち果て、どこもかしこもお化け屋敷のようだった。
ボクらがニュースで見る復興の足音はそこにはなかった。
どこにもかしこにもそんなものはなかった。
多くの人が知らない現実があった。



取材先の方の話には心が洗われた。
そして誰もいなくなった現実の中で、初めて繋がる人への感謝を実感できたという。
微かに、わずかながら、光明が見えている。

荒涼とした小高地区を抜け、飯舘村へ。
人家に一軒も灯りが点ることもない暗闇の中をクルマを走らせる。
チリチリと頭の鈍痛が激しくなる。
チェルノブイリよりもひどいのではないか。
すれ違うクルマは警察か、自警団か。
パトライトがあたりの景色を回転しながら赤や青に染める。

この現実は果たしてどこまで伝わっているのか。
どこまで伝えられているのか。

ボク達は。
ボク達が。


2011REPORT1 ◆ 被災地ルポ 震災に負けないゾ! 福島編

2011REPORT2 ◆ 被災地ルポ 震災に負けないゾ! 仙台編
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2 コメント

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なんら終わっていないし (ふらいんぐふりーまん)
2013-04-05 15:49:40
 むしろこれから何年、何十年と福島及び近県に影響を及ぼし続ける原発事故及び放射能汚染だと思うんだけど、どうしても原発ビジネス利権を手放したくない電力会社、原発関連企業、原発研究者及び政府、マスコミが、それを黙殺するように画策しているとしか思えないよ。

 一説には、原発発電コストに組み込まれるのが嫌だから、わざと莫大な費用がかかるであろう除染作業を遅らせて、その費用計上を阻んでいるとかいう噂もあったりするからね。

 原発を使うと電気が安いっていうのは、ほんと今回の事故の処理や、使用済み核燃料の処理費とかも全て含めてもそうなのかなって、心の底から思う今日この頃だよ。

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Unknown (熊猫)
2013-04-08 20:53:49
どうして誰もこないのか?
ぼくはなんにも悪くない
ぼくは病気?病気じゃない?

みんなあいつのせいなんだ
ブランコゆれた、気のせいか
風が笑って過ぎてった

子どもの声はもう聞けない
子どもの声はもう聞けない

郡山市立赤木小学校6年 金子健君 「聞けない」
「ふるさとはフクシマ 子どもたちの3・11」(文研出版)
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