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居酒屋放浪記 0306 - 角打ちの中の角打ち - 「家谷酒店」(荒川区東日暮里)

2010-01-11 13:06:31 | 居酒屋さすらい ◆立ち飲み屋
 09年4月25日(土)。
 妻と子供を羽田空港まで送り届けたその足で、ボクはあるところに向った。
 
 あの日のことをボクははっきりと覚えている。 
 17年前の4月25日、運転していた軽トラックのラジオから流れてきたニュースに耳を疑った。
 「全裸で発見された若い男性が病院に運ばれ、午後0時6分に死亡が確認されました。男性はロック歌手の尾崎豊さんと見られています」。
 軽トラのクラッチペダルを離す足が震えたことを覚えている。

 尾崎の死をボクはなかなか受け入れることはできなかった。
 だから、護国寺で執り行われたファン葬に行こうともしなかった。
 また、尾崎の死後、各局のワイドショーが競うように放映した彼の謎の死について、ボクは辟易していた。
 中には、真摯な番組もあったが、そのほとんどが的外れであったばかりでなく、尾崎豊についても偏向的な見方をしていたものも少なくなかったからである。

 そこに登場する尾崎のファンは、そうしたマスコミに都合よく使用されるだけの存在だった。
 つまり、ボクは格好のゴシップになった尾崎の、そのおびただしいファンのワン・オブ・ゼムになりたくなかったのである。
 もっと言えば、急激に沸いて出てきたような、尾崎を巡る動きとは一線を画したかったからである。

 そう考えながらも時は過ぎていく。
 正直なことを言えば、ボクの尾崎に対する思いも、やはり色褪せていったことは確かだった。
 そうありながらも、ボクは命日と誕生日には必ず、CDを全曲かけたり、DVDを見たりして、尾崎を偲んだ。

 そんな、ボクが、何故この日、尾崎が全裸で発見されたという小峰忠雄さん宅、通称「尾崎ハウス」に行こうと考えたのか、実は明確な理由はない。
 ただ、妻が残り少ない育児休暇を実家で過ごすために、出立したのが4月25日であり、つまりボクは「自由になった」から、というのがその答えなのだと思う。

 その日は冷たい雨が降っていた。
 羽田空港からの帰路、日暮里で京成線に乗り換え、千住大橋駅で下車した。
 日光街道を渡り、地図を見ながら「尾崎ハウス」を目指した。

 案外、「尾崎ハウス」はすぐさま見つけることが出来た。
 ワイドショーなどで見た光景と、「尾崎ハウス」の庭先は17年前とほとんど変わっていなかったからである。

 

 命日ということもあり、10分おきにファンは家の中へと入っていく。
 ボクも、中に入れさせてもらった。

 そこには17年分の空白があった。
 
 長い月日のうちに失ったものはかなりのものにのぼるはずだろう。だって、ボクは尾崎の死後のほとんどを会社や社会に従属されてきたのだから。
 この日、ようやくその空白を埋められた、ボクは誰かがかきならす、ギターに合わせ、尾崎の曲を何曲も唄いながら、そう思った。

 そう思えるだけで充分だった。
 尾崎はまだ自分の心の中にしっかりと生きつづけていることが分かったのだから。

 小一時間ほどで「尾崎ハウス」を失礼した。
 無性に酒が飲みたくなったからだ。

 北千住まで出ようか、それとも千住大橋の近くで見つけようか。
 散々迷った挙句、ボクは千住大橋駅まで出ることにした。
 駅に向う途中、ふとした疑問が浮かんだ。
 何故、あの日尾崎は日光街道を折れ、この道に迷い込んだのだろうか。

 当時の尾崎のマネージャーだった大楽光太郎氏は尾崎の運命の日となる前日夜の行動を自身の著書『誰が尾崎豊を殺したか』でこう推測している。

 その日、後楽園で繁美夫人とその友人らと会食をした尾崎。繁美夫人は先に帰宅し、その後尾崎は泥酔、徒歩にて自宅へ向ったという。
 日光街道をひたすら北上し、自宅まであと少しというところで、小峰宅の庭先に立ち寄ってしまう。その理由は「彼が幼い頃過ごした家に(小峰宅は)そっくりだったから」。

 それにしても、何故日光街道からこの道に迷い込んでしまったのかが分からない。
 千住大橋を渡り、自分のテリトリーに入ったことで、尾崎は安心してしまったのだろうか。
 しかし、恐らく4月24日の深夜にこの道を尾崎は彷徨うように歩いたことは間違いないだろう。

 
 
 千住大橋駅近辺に昼間から開いている居酒屋はなかった。
 はて、どうしようか?と少し考えて、自分の足がぐっしょりと濡れていることに気がついた。
 それに、この寒さだ。
 風呂に入りたい、と思った。
 幸い、タオルは持っていた。
 「帝国湯」ならすぐ近くだし、その目の前には「家谷酒店」がある。
 千住大橋駅から新三河島駅まで出て、歩いて「家谷酒店」まで行った。

 店は古く、初めてここを訪れた者に対し、拒むような雰囲気がある。
 だが、中に入るとそれは杞憂であることに気付く。
 おばさんの笑顔が優しい。

 冷蔵庫からキリン「一番搾り」を出し、無造作に置かれている渇きものに手を伸ばす。
 生ビールやちょっとした肴などない。
 立ち飲みのスペースはごく僅か、だがそれも商品棚と商品が交錯していて、本当にここで飲んでしまっていいのか、曖昧だ。
 そこに、陣取って、ボクは缶ビールをプシュっとやった。
 
 店内は乱雑だった。
 棚には古い商品がほこりをかぶっているようなものもあった。
 その混沌の店内に、ボクはカシューナッツをぶちまけてしまった。
 最後にワンカップを2本たてつづけに飲むと、さすがに酔ってしまった。

 ボクはおばさんにカシューナッツの件を詫びて、店の外に出た。

 雨は依然として横殴りに降っており、ボクの足元を濡らす。
 口をついて出たのは、意外な曲だった。
 「♪あぁ、笑うがいい、おいらは酔いどれ。今日も魂を切り売りしてきた」(未発表曲=「酔いどれ」)
 
ボクは少し大きな声で唄いながら、歩く。
 「♪おいらの人生かい、無駄使いのあぶく銭さ。生きているわけかい、そんなものありゃしないよ」。

 尾崎を失って、もう17年も経ったんだと、今更ながらに思いながら、ボクは歩いた。
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