6月26日(金)大根・ご汁の素・豆腐
おはようございます。
これまで関わったことのない人の半生が少しずつ明らかになるにつれ、その人の慟哭のような日々を最近は考えています。いえ、関わったことがないというのは単なる言い訳でしょう。ボクが関心がなかったとも言い換えられます。それは些細なこと、ともすれば聞き流してしまうようなこと。でも、母娘が離れ離れになることは、とてもつらいことだったのかと今はようやく思うことができます。
愛の対極は無関心。今、その思いを想像することで、その人の心に寄り添うことができればと思います。
昨夜、ファミレスの藍屋で食事をしました。
味噌汁が出てきましたが、さして感動はありませんでした。
「自分のほうが勝ってる」。
そうも思いました。
大根の味噌汁がやっぱり落ち着きます。
6月25日(木)じゃがいも・パセリ・豆腐
おはようございます。
玄侑宗久氏の書籍を読んでいます。仏教についての優しい手ほどきが書いてあるのですが、その記述の中に顕教と密教があります。顕教は釈迦が全ての教えを見せていることに象徴する、いわゆる顕在化された教え、一方密教とは玄侑和尚に言わせると、言葉に表せない教えも含めて示したものといいます。
言葉に表せないもの。それがどれだけ多いのか。認知心理学を学ぶときに痛感させられました。そういえば、恩師は、外国の認知心理学者が研究に没頭するあまり、出家した人がいると言っていたのを思いだします。恩師曰く、その学習を「いっちゃった」と表現しました。
しかしながら、仏教は4000年もの、膨大な蓄積です。それは、心理学そのものだとも言えるのです。すなわち、これは人間そのものといえます。
今朝は、娘が校外学習に出掛けていて不在のため、味噌汁は少なめに作りました。なんとなく、さみしいです。
昨日、具材が買えなかったので、具材不足でもあります。パセリはベランダ菜園のもの。ほんの香りっけのつもりが、いれすぎてしまいました。ちょっとくどくなってしまいました。
6月24日(水)なす・ながねぎ・ご汁の素・豆腐
おはようございます。
とうとうセ界の貯金がなくなりました。いえいえ、プロ野球のことです。
プロ野球を見はじめてから35年。こんなこと初めてです。
この先、一体どうなることやら。
最後に一言。大瀬良大地投手。恵まれた素質がある。そしてハートも強い。あなたに足りないものは緩急です。
今朝はなすとながねぎ。ともに焼きました。なすはともかく、ねぎは焼くと香ばしい薫りになります。
味がよりいっそう引き出せます。
最近、買い物に行っていないので、材料が乏しいです。今日あたり、材料を仕入れてこようと思います。
6月23日(火)なす・ながねぎ・ご汁の素・豆腐
おはようございます。
数日前から背中に張りがあります。肝機能が低下しているのかもしれません。今日からしばらく断酒します。暑い夏がくるだけにビールの誘いはつらいですが、ここはちょっと我慢しなくては。
できるなら、断食をするのもひとつの手かもしれません。
そういえば、俳優の榎木孝明さんが30日間の断食を行っていると、先日報道されました。以前、わたしは1日1食を3か月続けましたが筋肉が衰えることで、断食には負の効果が強いと判断しました。お腹も出てきたのでちょっと何か始めようと思っています。
肝臓には大根の成分、アミラーゼが最適です。梅雨のお疲れモードには大根で。
ながねぎは細切りにしました。見栄えがいいのと、しゃきしゃきと食べられる点がいいです。
淡色系の味噌と白味噌。これがもっとも洗練された味噌汁になります。
6月22日(月)ピーマン・ながねぎ・豆腐
おはようございます。
昨日は父の日でした。それぞれの人にそれぞれの父の日があったのかもしれません。最近、父の日がなくなりつつあると聞きます。お父さんがいない母子家庭に配慮する動きとか。その気持ちも分かります。しかしながら、これはルーツの授業とはまた別の次元のものです。わたしたちが存在するのは必ず父がいて、母がいます。たとえ、尊敬できなくても、父の存在は絶対です。相対的に父の日を見るのではなく、主観として「父とは」を考える日であってもいいと思うのです。そのうえで、「わたしは」とすることが大切なのではないかと思うのです。
今朝はピーマン。ちょっと奇を照らってみました。評判は悪いです。
味噌のチョイスに失敗したのかもしれません。辛めでいいかなと八丁味噌を用いました。
次回は淡色系でピーマンに挑戦したいと思います。
今日は仕事が休みです。ちょっと疲れ気味。
としまえんの「庭の湯」に行こうかと思っています。
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