この日、本来ならば、新横浜に行くはずだった。ところが、ちょっとしたミスで、その予定が変わってしまった。その会場に行くには、前日に抗原検査を受けねばならず、その結果を何かのサイトに登録する必要があった。ところが、ちょっとした勘違いで、登録できなかったのだ。前日とは23:59までで、0時を過ぎると、当日になってしまう。自分は1時に登録しようとしたら、後の祭り。登録できなかったのだ。1時の方が最新結果だというのに。
翌日、朝にその会を取り仕切る本部に連絡して、事情を告げると、「担当者から連絡させます」と言ったきり、連絡は来なかった。自分としては、その方が都合は良かった。一日がかりで出かけると、溜まった仕事が全く出来ないし、電車賃もかかる。ただの顔繋ぎなら、その代償は小さくなかった。
出かけることがなく、おかげで仕事は捗った。夕方になって、ふと気がついた。今夜はごはんが作れないとかみさんに告げている。早く出かけなければならない。てまはどこへ。
この千載一遇のチャンスを逃してはいけない。
約2か月ぶりの「光栄軒」に。
コロナが明けて、友人や仕事関係での、酒の誘いが格段に増えた。自ずと、「光栄軒」に行ける時間がなくなったのだ。その機会を窺っていたのだが、ついぞその機会はこの2か月、訪れなかった。
17時に、「光栄軒」に到着すると、マスターもママも変わらない顔で迎えてくれた。M本さんは、少し顔がほっそりしていた。
「この2か月、忙しくて」。
なんとなく、その忙しなさが想像できる。
「お茶割り」から、スタート。
お通しは、好物の鳥唐。これ、ずっと食べたかったんだ。懐かしい味。独特の衣には、独特の下味がある。真似しようとしても、真似の出来ない唐揚げである。
お客さんはひっきりなしだったが、以前と比べれば、少しお客さんは少ないような気がする。小上がりも満席にはならない。
マスターとは、少し野球の話しをした。
自分はもう2年もボールを握っていないことやら。マスターの膝の調子はどうなのだろうか。聞きそびれてしまった。
そして、「餃子」をいただく。
ちょっと、小ぶりで、ちょっとお焦げがついている、5個の「餃子」。これもまた懐かしい味。皮がちょっと厚く感じるのは、この2か月でいろいろ食べ歩いたからだろう。離れて分かる、その違い。
しかし、今日もたくさん、仕事をした。仕事を終えた後のお酒は本当にうまい。この時間になれば、もう誰からも電話はかかってこないだろうという安心感に包まれて。この瞬間、本当に生きてるなって実感できる。今日も一生懸命やったよ、と胸を張って言える。だから、酒がうまいのだろう。
けれど、このひとときを味わえるのは、「光栄軒」だけ。「香港亭」では、こんな気分にはなれない。その理由が何から来ているのかは、分からないけだ、温かみの輪の中に包まれた安心感が、「光栄軒」にはあるのだ。
〆はもちろん、「半炒飯」で。
これもまた、懐かしい味。数ヶ月離れると、また食べたくなる「光栄軒」の味。全ては、温かみの輪の中にあるからだと思う。
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