懸案だった、盗難防止のための錠前をようやく購入したものの、今度は宿探しをしなければならないと思うと気持ちは重かった。しかも、外はカンカン照りで、重いザックを担いで歩きまわるのは難儀なことだった。
とりあえず、何か飲むか。あまりの暑さにチャイはもう飲む気がせず、道端で商いをするキオスクに行き、「サムズアップ」はないかと尋ねた。「サムズアップ」はインド版のコーラで、コカ・コーラよりも安価に売っていた。味はコーラよりも薬っぽく、劣っていたが、コーラに比べて2ルビーほど安いのが、魅力だった。
商いをしている男は、「うん」と頷いて、クーラーボックスの中から「サムズアップ」を取り出した。
良かった。冷えたものがあるらしい。インドでは時々、直射日光に当たっているジュースを平気で出したりする。この店は一応、冷えたものを用意していた。
5ルピー札を渡すと、案の定、彼は「足りない」と言ってきた。そしてまた値段の交渉が始まる。結局、7ルピーも払わされることになった。冷えた「サムズアップ」はうまかった。汗をたくさんかいて、体が糖分を欲していたのだろう。小瓶の「サムズアップ」をアッという間に飲み干してしまった。
さて、どっちへ行こうか。キオスクの男に、バザールはどこかと尋ねると、何も言わず、バスターミナルの方角を素っ気なく指でさした。
確かにバザールはバスターミナルに隣接しており、多くの人で賑わっていた。
さて、宿でも探すか。バザール沿いを歩き、ゲストハウスの看板を探すが、なかなか宿は見つからない。
疲れたなと道端の隅に腰を下ろし、タバコを吸っていると、対面にある建物の看板が目に止まった。よくよく見ると、そこはゲストハウスだった。これはついていたというべきか、もし立ち止まらなかったら、そのまま見過ごしてしまうほど、小さな看板だった。うなぎの寝床のような細い間口で、中に入るとひんやりと涼しかった。間口を奥まで行くと、男が一人座っており、わたしの姿を見ると、少しにやりと笑った。
「2泊くらいするつもりだが、いくらだい」。
わたしから声をかけると、彼は値踏みするような面持ちで、1泊35ルピーといった。ウダイプルの宿と比べると高い。ウダイプルは朝晩の食事がついて35ルピーだった。
とりあえず、部屋を見せてもらうことにした。階段をのぼったところの目の前にある部屋はシングルルームで、そこそこ広かったが、部屋は暗かった。細長い建物の、この宿は周囲の建物に囲まれ、すっかり日陰になっていた。
35ルピーは高いな。やめとくよ。と冷たく返答すると、「ちょっと待て、いくらなら泊まる」と、またしても交渉が始まる。実はこの炎天下で、もう自分はザックを背負って歩きたくなかった。けれど、売り言葉に買い言葉、どうにも値引きさせないと気が済まなくなってきた。「この部屋は窓がないのだから、20ルピーだ」と始まって、言い合うこと30分、「30ルピーは譲れない」というオヤジに負けて、その金額で妥結した。インドの安宿にエアコンを求めてはいけない。だが、窓がないというのはどう考えてもマイナス要素だった。30ルピー払うなら、窓がある部屋に変えてくれないかとお願いしたが、どうやらその部屋しか空いていないようだった。
けれど、30ルピーでも満足だった。ニューデリーから南下して、部屋代はどんどん安くなっていったからだ。早速、ザックを置いて、ベッドに寝転んだ。早朝のバスターミナルについてから3時間、ようやくゆっくりできる。昨夜から口にしたものといえば、「サムズアップ」だけだが、どうにも食欲がない。40度に迫ろうかという気温に加え、バスを降りてからうんこだらけのトイレを見てげんなりしたというのもある。いや、インドに入国して3週間、ターリーばかりの食事に飽きてしまったことも大きい。香辛料たっぷりの食事は胃腸をすっかり疲れさせてしまったようだ。
目を閉じていたら、どうやらいつしか眠ってしまったようだ。時計を見ると17時をちょっと過ぎた頃合いで、自分は5時間も眠っていた。起き上がると、びっしょりと汗をかいていることに気が付いた。随分と部屋の中が暑い。そこはまるでサウナだった。暖房でも入っているのかと思い、薄暗い部屋を見渡すが、それらしきものはない。ベッドの下を見ても、暑さの原因になるようなものはなく、とりあえず部屋のドアを開けた。すると、涼しい風が入ってくるのだが、ほぼ焼け石に水。室温は少しは下がるのだが、汗はとめどなく流れてくる。これはどうもとんでもない宿に泊まってしまったようだ。
階下に降りて、宿のオヤジに事情を話すと、夕方は西日のせいか、暑さがこもる。うっかり、お前に言うのを忘れてたという。
冗談じゃない。宿泊料を下げてくれないかと頼んでも、もう契約は成立しただろと言って応じなかった。仕方なく、部屋に戻るが、部屋の暑さは変わらない。いやむしろ、オヤジとやりあったことで、余計に暑くなった気がする。
ちょっと街でもぶらついて、涼みにいくか。夜になれば、部屋も涼しくなるだろう。
アフマダーバードのバザールを冷やかしながら、ターリーを食べ、「サムズアップ」を飲んだりして、2時間ほど街をうろついた。昼間の暑さは既になく、少し涼しい風が吹き付け、心地よかった。それでもまだ30度を越えていると思うのだが、直射日光がない分、充分涼しかった。
そろそろ部屋も涼しくなっただろう。そう思って、宿に戻ってみると、部屋は暑さがこもったままだった。涼しい外から戻り、そのギャップが広がった分、余計に暑く感じた。
これはもうたまらん。ドアを開け放っていても、劇的に暑さが改善するわけでもない。いやそれよりも、部屋が階段の正面だったことで、他の客が部屋の前を通り過ぎる際、必ず目が合ってしまうのがどうにも嫌だった。そうしてドアを閉めると部屋はまた暑くなり、汗が滝のように流れ出る。どうしようもなく、寝るかと目を閉じても、一向に寝付けなかった。すると、今度は階下からインド音楽が大音量で流れはじめた。もはや、自分に安眠できる術はなかった。
しかし、ドクターペッパーが好きな日本人は、「結構うまい。」なんて言って飲んでた気もする。で、ドクターペッパーも調べてみると、独特のフレーバーに大きく好き嫌いが分かれると言った記述もあったんで、似たような所があるのかもしれないなあ。
ちなみに俺はインドでの炭酸飲料は(まあ、ほとんど飲んでないけど)、ペプシもしくはリムカ派だった。
それにしても、インドで夜にとんでもなく暑い部屋って、もう地獄でしかないよね。幸いにも俺はそういう部屋にあたった記憶はないなあ。
あと、階下から大音量っていうのを読んで、陽朔の安宿を思い出したよ。あそこも早朝になんかやけにうるさくて部屋変えてもらったよねえ・・・。
しかし、ペプシ売ってたっけ?
寝床には苦労したよ。インドでは。このアフマダーバードの宿の室温は実際に計ってないから分からないんだけど、50度を超えていたと思う。だって、まさにサウナ。ベッドが異常に熱くて、ベッドの下に何かあるのではないかと確認したからね。
陽朔で、そんなことあったっけ?
ユースホステル?
あとあの当時、すでにサムズアップは地元メーカーから、93年に再進出してたコカコーラに買収されてたみたい。で、ライバル社でこれまた90年に再進出してきてたペプシとシェア争いをしてたみたいだよ。
ってことで、ペプシ、売ってたと思う。買った記憶もうっすら残ってるし。
ちなみに、インドのマクドに行ったときのメニューには、コカコーラもあった。
http://onitobi.blog20.fc2.com/blog-entry-1770.html
さすがアメリカの象徴、マクドナルド・・・。
しかし、街の露天とかではコカコーラ売ってたっけなあ???覚えてないよ・・・。
あと陽朔だけど、部屋変えてもらったのは、別件(初日深夜に嫌なおっさんがいたドミ)との勘違いだったよ、申し訳ない。
でも、超早朝に、おばちゃんの怒鳴り声や、ガキ共の走ったり騒いだりする音で目が覚めた記憶がある。
そんなこんなで、可愛かったフーユエンのいた宿(ユースホステル)に移ったような気がするんだけど。
俺のオレ深で確認してみたら、やっぱそうだった。陽朔、今はどうなってんのかな。
しかし、50度の部屋はやばいね、よく熱中症にならなかったな、師よ。
コカ・コーラは露店でも売ってた。コーラの方が若干高かったよ。
マクドのメニュー、確認したよ。しっかり、コーラだね。
陽朔の一件は、そうだったね。
嫌な野郎だったなぁ。
「Hard seat cafe」、まだあるかな。もうないだろうな。
相変わらずバックパッカーには人気のようで、かなり儲かったらしく、街にはショッピングモールもでき、洒落た土産物屋なども乱立、旅行者向けのカフェ・バーなども更にできたようで、ネットで見た町並みはすっかり変わってたよ。
で、ハードシートカフェはもうなくなってるみたい。けど、北京にあるって情報があったなあ。(あのハードシートカフェとはぜんぜん違うおしゃれな店構えだったけど。)
陽朔、俺にとってはもう一回、行ってみたいとこなんだよなあ・・・。
以前、ベトナムのサパをGoogleストリートで見たけど、やっぱり全く違う町になってた。
陽朔、またいつか行ける機会があるかな。