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さすら碑 018 - 誰なのか - 「平林先生記思碑」(茅野市塚原)

2024-02-17 21:33:50 | さすら碑

3年ぶりの茅野市。

叔母が亡くなり、もうそんなになるのか。

生前、自分はつまらないことで叔母を怒ったことがある。生きているうちに謝ればよかったが、もう今は叶わない。その後悔は棘のようにずっと心の中に刺さったままである。怒ったことも、謝らなかったこと、2本の棘。気にしなければ痛くはないが、突如思い出す時があり、触ると痛い。まさにそれは棘だった。せめて、墓参でもして謝りたいとも思ったが、ついつい長い時間が経った。

まずは叔父の家に立ち寄り、仏壇に侘びた。心の中で。

叔父の家を訪ねたのは25年ぶりのこと。家の外観も玄関も、全く記憶にない。仏間には叔母の写真がたくさん飾られていた。87歳になった叔父は耳が遠くはなったが、矍鑠としており、庭はきれいに整えられていた。

自分が叔母に理不尽に怒ったことを叔父が知っているかは分からない。もしかして、叔母から聞いているかもしれないし、叔母は黙っていたかもしれない。それも自分の中のわだかまりになっていた。

お墓参りは叔父が先導し、それぞれのクルマで行った。国道から脇道に入り、山を登ると、そこは大きな霊園だった。「永明寺山公園墓地」というらしい。その墓地の入口に叔母は眠っていた。

墓前でまた侘びた。もちろん心の中で。

許しを乞いたい気持ちはある。けれど、自分がずっと負っていかなければならないことも分かってる。これからもう、誰も傷つけないように生きていくための棘だと思う。

墓参して、その場で叔父と別れた。

「永明寺山公園墓地」を降りて、国道に出る手前に、大きな記念碑があった。

「平林先生」云々と刻まれている。云々以降の漢字が読めない。碑の裏手にまわって、碑文を読めば、この記念碑のことも少しは分かっただろう。だが、自分にはそんな時間がなかった。急いで仕事先に行かねばならないのだ。

その後、碑のことをネットで検索したが、何の情報も得られなかった。辛うじて、碑に刻まれた漢字が判明した程度。平林先生が誰なのかも判然としなかった。果たして、平林先生とは誰なのか。もしや、地元では触れられないタブーがあるのか? それとも単に私設の記念碑か。謎の碑である。

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