ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

オキュパイドジャパンのコーヒーカップ

2023-09-27 09:58:00 | 工芸絵画骨董

 第二次大戦に敗戦し進駐軍のもと占領下にあった1947~1952年の間、日本から輸出するものにはオキュパイドジャパンのマークを入れなければならなかった、その時代のコーヒーカップセットが何故か我家にあったのだが、割れたり取っ手がとれたりして今はこれだけが残っている。

 これが昔から我家にあるのは輸出用なのに不思議、女房の父親が船会社勤務だったから船積み前に分けてもらったのかな、カップの種類はこれ以外もあるが、生産された期間が短くさらに輸出されたものだから、今は里帰りしたものだろうと思われるものを骨董市などで時たま見かけるが数は少ないようだ。

 僕も売られているものをいくつかは見たが、いずれも非常に薄い安っぽい造りで透けるようなカップ類ばかりだった、そういえば芸者さんの顔が透けて見えるような珍品ものを見た記憶もある、しかし、これはもっと厚くて和洋取り混ぜたような絵柄もソーサーまでシッカリと描かれている。

 裏には製造窯元の記入は無くて、アイアンストーンウエアと硬質陶磁器表示だけ、まずはこれも有田だと思っていたのだが。

                                                   

 絵付や全体の見栄えからは上等なものだと思われるが、取っ手が取れるなんて占領下で物資などが乏しくて何か問題あったんですかねぇ、普通は接合部で離れることなんてことはありませんから。

<追記>

 その後に同じ図柄のものを見つけたら裏にNIKKOとあって金沢のものと判明した、このメーカーは有田のような磁器ではなくてこういう洋風の硬質陶器を専門に作っていたようで、このカップは西洋伝統図柄のダブルフェニックスが描かれているということだ、その後によく見るものはオキュパイド表示がないものがほとんど、この規則は1年ぐらいで有名無実化したらしいが、旅行中の瀬戸ではオキュパイド専門の店を見つけたことも、また数年前の朝ドラのあさがきたではこのカップを使った場面がありましたね。

 

2009年のものに追記修正しての再掲です、取っ手が獲れたカップは今年になって金継修復中です


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