小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

ブリコラージュの男(78歳の高齢ボランティア)

2018年08月21日 | エッセイ・コラム

78歳のボランティア尾畠春夫さんが行方不明の男の子(2歳)を救出したことは、素晴らしいニュースだった。
と同時に、このお歳で被災地へ出向き、地元の人々に貢献していることを聞き及び、日頃自分のことだけで精いっぱいの我を恥じ、彼を見倣うべく居ずまいを正せねばと思う今日この頃である。

『怖い絵』などの著作で有名な中野京子さんのブログを拝見したら、その話題にふれていて、尾畠さんが「飴玉」を男の子にあげたことで、ちょっとした論争があったことを知った。

中野京子の『花つむ人の部屋』https://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006/e/2e35bd463cd21dc64eacebab76bae941

「2歳の子に飴を食べさせるのはけしからん、喉を詰まらせるかもしれない、飲み物をやるべきだ、虫歯になる!」などの非難があったらしいのだ。

実は、彼が渡した「飴」は熱中症予防の塩と糖分を合わせたタブレットだということが後でわかったようである。
「がりがり噛み砕いたので、この児は大丈夫、生きていける」と、ニュースで語っているのを見た。私なぞは感心するだけで、飴玉の心配など思いにも及ばなかった。

それよりも、尾畠春夫さんという人が、文化人類学者のレヴィ・ストロースが発見した「ブリコラージュ」を実践している現代人ではないか。(そのことをずっと考えている自分は、いつか人の役に立つことができるだろうか・・)。

被災地へボランティアで行くとき、彼はミニバンに乗っていくのだが、それに搭載された様々な道具、工具、その他なんだか分からないものが一杯で面白い。
例えばということで、尾畠さんは太くて大きいドライバー2本(+&-)を取りだす。

昔ながらの民家が洪水で浸水した場合、畳は本格的な藁製のもので、たっぷり水分を含んでいて膨張し、とり剥がすことができない。で、このドライバーを2本を使えば、重たくなった畳を容易に取りだせるらしい。どう使うのか見たかったのだが、彼流のその場に合せたツール、独特の工夫で臨機応変に問題を処理していくのであろう。被災地では、彼のような人が重宝がられるに違いない。

▲65歳まで鮮魚店。山登りは40歳から。東日本大震災はじめ多くの被災地へ単独で出向く。指にとまったトンボは、なんだろうか? 

「ブリコラージュ」とは、フランス語で「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」というのが本来の意味だが、レヴィ・ストロースの人類学では「野生の思考」といわれ、人類創世の頃から培われてきた「モノを工夫する」普遍的な知の在りかたである。
その場で使えるか分からない石や木片でも、その形態が変わっていて後で何かに使える(応用できる)かもしれない。と、ピンときたら「集める、とりあえずストックする」ということも「ブリコラージュ」の一種といえる。

尾畠春夫さんは今や「時の人」である。彼に関することはネットにも溢れるほどある。その経歴、体験に関心がいきがちであるが、彼の「知のスタンス」や「自然にたいする謙虚な姿勢」にこそ、多くを学ぶべきではないかと考える(ボランティア経験の貧しい男である)。

 


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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (スナフキンÀ一言)
2022-06-05 19:28:01
国士無双の国士とはこういう人でしょう。
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無私の精神 (小寄道)
2022-06-06 21:37:29
国士ですか。うーん、尾畑春夫さんの「無私」のありようは、決して国の方を向かない。眼前する困った人を助ける、彼流の手ごたえを感じる方法で・・。だから偽善の余地も生れない。
彼をインタビュー取材した本があるようですが、その帯に「自分の人生を他人に委ねない」とか 「一度、バナナの皮まで食べておくといいよ」がありました。
後者の言葉には、はっとするというかブリコラージュの精神を感じましたし、さすが普通の人は違う何かをもってますな。
あやかりたいです。では
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Unknown (スナフキンÀ)
2022-06-20 12:55:50
そうですか?
私は国士とは「命もいらず名もいらず……」という山岡鉄舟の言葉(西郷隆盛を、無血開城の為に人斬り桐野と共に出向き、その感想を述べたとの。一人で敵陣に赴いた鉄舟も、彼を裏切り者と粛清されるリスク覚悟で同行した桐野も偉い!)を国士と思いますので、体制に顔を向けているか否かでは判断しません!
貴兄が国士のような右翼的な言葉に反発されるのは解りますが、
そもそとは漢語で、日本のWordではありません!!
この親父は大手報道だろうが1市民だろうが、全く公平に対峙して自然体に見えました。クソ五輪の聖火ランナーやったのは遺憾ですが。
この親父を見ていると、子供を救出できたならば、己の命尽きても構わない覚悟を感じました。現に彼は救出後の子供の家族からの、 「夕飯くらいご馳走させてくれ!」すら断っている。誠に公平な漢で、そこに政治的な感想を挟まれるのは私としては本末転倒に思えます。
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誤解です (小寄道)
2022-06-20 14:36:00
コメント感謝です。
尾畑春夫さんについての記事を書いたのは私です。
それに対して、スナフキンさんは「国士無双の国士とはこういう人でしょう」との一文を付された。

国士無双の国士とは、仰るように、中国漢王朝の時代のころの史実を基にした言葉です。

具体的には、漢王朝の成立に多大なる貢献した指揮官「韓信」という人がいた。漢の宰相「蕭何」は、王の「劉邦」にこう進言した。
「諸将は得易やすきのみ、信の如ごときに至りては、国の士に双つと無きなり」

軍の指揮官はなんらかの功績があると、多くの報奨を要求するが、「韓信」はそんな素振りさえ見せない。その意味では二人といない傑出した人物。そんな意味です。
国士とは、国のなかで傑出した人物のことで、国の命運を左右したかもしれない武将・司令官ですね。

スナフキンさんは、尾畑春夫さんを「国士」のような人だと形容しました、その意図が私には読めなかった。どういう心象をもってその言葉を選んだのか?

私は単純に「無私」の親父で、ただ困っている現前の人を助けたい、ただそれだけの人で、彼自身に「あなたは国士」だと言っても「?」という顔をするだけじゃないか・・。
以上です。
このことに関して、スナフキンさんはどう考えますか?

なお、山岡鉄舟は台東区谷中にある「全生庵」を生前に創建しました。無血開城の記事は、以前、このブログにも書いたことがあります。
この寺の住職は、平井正修さんといい、お若い方(50代?)ですが、著作も何冊か書かれています。
ある事が縁でじっくりお話しする機会がありましたが、そのとき彼の著書『山岡鉄舟・修養訓』をいただいたことがあります。
全生庵は禅寺ですが、落語家の三遊亭圓朝の菩提寺でもあり、彼の所有していた幽霊画を年に1回公開する面白い寺です。
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Unknown (スナフキンÀ)
2022-06-20 20:01:27
仰る通り彼に国士と呼びかけても、???と?マークを頭上に散らすでしょう。ただ、私は比喩として国士なる言葉を用いたもので、リアルの彼に呼びかける意図を想定してません。
私心なく、いや私心はありますね。人を救いたいも一つの欲ですから。
我欲なく……これも上記の条件をクリアしませんね。困ったな。
ただ己の保身や欲を差置き、他者を介した社会の救済へ向う行動者……そのような者を私は国士と呼びます。子供一人にせよ、それを救いにゆくのは救国と変わらないと想うのです。だって子供は社会の一部ですから。それが回答ですかね。

それとは別件になりますが、小寄道様の家庭別居の案件、仔細はプライバシーで伺いません。ただ参考にさせて頂きました。
私はそのような状況ではないのですが、大学で教鞭をとる兄が残る親の介護をしておりまして。母は不自由になる前の小寄道様のお母様と似たような具合です。
私は実家に週に一度、介護の手伝いにゆくのですが、認知のボケ以外にはさほどに手は掛からないものの、一人では放っておけない状況で。
目を離す訳にもゆかず兄は介護疲れしてきました。昨年まではリモートでしたが、対面授業とリモートとを重ねるようになった為です。
疲れ故か、兄も寡黙で、私は何をしたら良いのか解らない。
最終的には、コレという家事ではなく、兄が一人になる時間を持てるよう少し親に見守りしていて欲しいのでは?と考察しました。
按摩を利用して揉みながら兄から聞き出して見るつもりです。
前置きが長くなりましたが、そのような推察に至る過程で、小寄道様の家庭内自立と、奥様の同居した別居に関する一言、二言が参考になったのです。というのは、「母が死んだ後は兄とは単なる親戚になり、兄弟ではなくなるかもなぁ」と思ったからです。相続は別として。
その時に、自分と家族とはどんな人間関係なのか? 振り返って考えてみたのですね。答えは「どちらも相手を選びようがない」でして。
そこから「同じ屋根の下で別居」というお話が、割と老後の兄と私の関係に近くなるのかもなと思い至りました。それで少し気が楽になったのですね。せっかく私は手技のプロなのだから、つかれを揉んでやる事で、
兄の思いが何処にあるか聞き出せるかも知れない。
その答えが、多少に厳しくとも、同じ屋根の下で別居するような関係と思えば、私も辛くはなくなるかも知れない。
結局、また小寄道様に愚痴を聞いてもらう甘えになってしまいましたね。では。今後も宜しくお願いいたします。
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Unknown (スナフキンÀそうそう一言の追加を)
2022-06-20 20:07:38
私はまたくぐり韓信ではなく、始皇帝暗殺を企てた後に、劉邦の軍師となった張良だと思っていました。勘違いを訂正できました。恥を書く前に。それはもう一つ感謝です。
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スナフキンさま (小寄道)
2022-06-21 00:23:15
スナフキンさまへ
私は、言葉にかんしては、原理主義者ではありませんので、何かを表わす、形容するときには、なるべく本来の意味にそった適確な言葉を使いたい、そんな私なりの方針があります。
他人様がどういう言葉を選ぶかを強制はできませんし、是正しようなんて、おこがましい限りです。
尾畑さんを「無私」の人と表現しましたが、その他大勢に比してです。100%無私なんて、人間ではありません、神様です。

私が日頃、気をつけているのは、コミュニケーション時にあって、このやりとりが続くと齟齬が生じるなと思ったら、いちおう相手の本意なり真意を尋ねるようにしています。
まあ、コメントでのやりとりは、タイムラグもあるし、文章を書くときには思惑が多々入り込みますからね。気をつけなければと自戒しています。
そして、相手への敬意を忘れずに、言葉を交換できればと思っております。

スナフキンさまのご母堂の介護についてアドバイスを求められましたが、正直言って、お兄様含めて、家庭の事情が分かりませんので、適切なことを申し上げる自信がありません。
「疲れ故か、兄も寡黙で、私は何をしたら良いのか解らない」という現状が表徴しているかと思いますが、プロというか第三者に任せる、お願いする方法もあると思います。
つまり老々介護で共倒れなんてことは多々あるわけで、多少金銭は出費しますが、その分はなんとか捻出する方向性を模索するとか・・。
他人様に任すのは、道義的、感情的に納得いかないむきもあるでしょうが、私の場合は母が事実上、植物人間のようになってしまいましたので、そうしました。

さて、私の別居の件ですが、大きく言えば私が折れたのですね。年老いても、男として自立することを恐れないことを課した、そんな理由もあります。

また、自室を母の居住スペースに移動することで、母用に配慮した様々な設備を利用できる。今後の老後生活を考えたばあい、3階よりも1階で居住するメリット、安全性は高くなる。
玄関、廊下、トイレの手すりはほんとに安心感がありますし、寒い時の風呂場の暖房なり、乾燥機能は、これからはもっと活躍するでしょうね。

妻と別居したといっても、旅行は一緒に行くし、たまには外食します。子供がいないので、お互いにわがままなんですよ。夫婦のあり方なんて千差万別でしょう。
これぐらいで勘弁して下さい。いちおう匿名でブログ書いていますが、東京のどの辺にすんでいるとか、日常どんなことをしているかは、割と明け透けに書くのが好きな方でして・・。

いや、文章を書くって、全人格をふくめての言動に責任ある行為だと思うので、嘘とかごまかしは書きたくないのです。
以上ですが、お互いに立ち入ったことを書くのは、どこかべつの媒体にした方がいいかもしれませんね。それはまたの機会に。では。
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