小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

反ブリコラージュの男(故小野田寛郎氏)

2018年08月25日 | エッセイ・コラム


「陸軍中野学校」といえば市川雷蔵である。眠狂四郎といえば、田村正和ではなく雷蔵だ。ニヒルでクール、そして胆力のある男を演じれば、彼の右に出るものはいなかった(京都弁の優男も演じたが・・。ま、60年代の一時期のこと、彼は惜しくも38歳で永眠した)。

切れ長の目と端正な顔立ち。細身の体つきながら、低く落ち着いた声色。女性だけでなく、男性をも魅了した市川雷蔵。陸軍の諜報員つまりスパイとなって暗躍する「陸軍中野学校」シリーズは、日本映画のなかでも特殊なジャンルに位置する。雷蔵による諜報員の演技はまた、狂四郎に劣らずその「静と鋭」で異彩を放ち、一世を風靡したのである。

▲監督:増村保造、ヒロインは小川真由美! 看板の絵がポスターになった? このアナログ感覚は絶滅したな。

精鋭の諜報員を養成する「陸軍中野学校」は、実際に陸軍内でも極秘扱いされていたし、終戦後も全貌が知られることはなかった。

映画の原作者は、畠山清行という人だが詳しくは知らない。旧日本軍における命令系統、組織実態、学校出身者の諜報活動の実績など、これらの事実関係を忠実に踏まえた映画なのか定かではない。

ともあれ、中野学校の出身者が「栄利を求めず黙して語らない」を旨としていたり、「死んで虜囚の辱めを受けず」とする戦陣訓の教えとは異なり、「玉砕はもってのほか、捕虜になっても死んではいけない」など、旧日本軍とは正反対の使命を叩きこまれたという。

彼らがタダものでないことは、戦後、アメリカ軍も高く評価したし、手段を選ばない非情さ、冷徹さで全身を包んだ諜報員は、知る人ぞ知る「超人」であったのか・・。


先日、戦後29年目にして日本に復帰した陸軍少尉、故小野田寛郎さんの生涯を回顧するドキュメンタリーをNHK・BSで見た。

彼の人生のあらましは知ってはいたが、陸軍中野学校出身の将校だったことを思い出し、この点を注視して見ることにした。『沖縄スパイ戦史』という映画を最近観て、それもまた頭の片隅にあったからだ。

小野田さんは満20歳のとき徴兵検査で入隊し、ごくふつうに陸軍二等兵として入営。その後、予備役将校を養成する学校を志願し、これに合格。上昇志向と非凡なところが認められたのか、いや、中国語や英語が堪能だったから抜擢されたのだろう「陸軍中野学校」に入校した。(彼は入隊する前は上海の商社に勤めていて、将来を嘱望される若手エリート・商社マンだったのだ。)

▲徴兵される前。上海で商社マンをしていた頃。中国語・英語に堪能だった。それにしても穏やかで善良そうな青年にみえる。

約2年余りで予備陸軍少尉となり、その1か月後の1944年12月にフィリピンに派遣された。戦況は日々悪化しているなかでの前線配置といえようか。

隠密行動や潜伏の要領、夜襲動作などの工作・遊撃、小野田少尉は猛訓練をうけたはずである。それよりも、生き恥を曝しても生き残る、何が何でも命令を遂行するという「中野学校精神」を、その後29年間も貫徹する軍人となる。

「陸軍中野学校」出身の青年将校たちは、本島だけではなく沖縄諸島の各島に隈なく配置されたと、映画『沖縄スパイ戦史』にあった。

同じように、小野田少尉は本島から離れたルバング島に配置された。首都マニラがあるルソン島、ミンドロ島、この両島にきわめて近い。陸軍の本隊に属さず、距離をおいた周辺からの諜報なり工作活動を企図したものであろう。また、民間人へのスパイ工作とか、敵国アメリカ軍に対する諜報、破壊・ゲリラ活動を、離れた島から隠密に展開するための戦略もあったろう・・。

万が一、他島の友軍が絶滅したときにも、生き延びながら敵軍への攻撃を続ける、これも目的のひとつだったかもしれない。(軍隊用語では、「残置諜者」及び「遊撃指揮」の特別任務などをいう)


1945年9月2日の降伏以降、日本敗戦の情報をキャッチしても、小野田少尉は、ルバング島での軍務を自ら中断することは一度もなかった。上官による任務停止命令が下されない限り・・。

敗戦当時、彼には少なくとも3人の部下がいた。ルバング島民は、彼らの存在に悩まされ、また島の警察も厳しい捜査を止めることはなかった。なぜなら、農作物や水牛などが度々略取されたり、また銃で撃たれ亡くなった農民が年に1人はいたという。いわば小さな戦争状態が、29年間もこの島で継続していたのである。

27年目、小野田少尉の最後の部下の一人が、警官に射殺されることになる。この遺体の身元調査から、小野田寛郎という旧日本軍将校の実在が確実なものとなり、日本全土に知れわたった。

それから2年後、鈴木紀夫という青年が旅行感覚で現地に赴き、小野田さんに遭い説得した。というより、鈴木さんの屈託のない明るさが、頑なな小野田さんを翻意させたというべきか。

▲29年間の潜伏から、人々の前に出たときの小野田少尉。眼光の鋭さは、雷蔵よりも迫真力があった。

なぜ、小野田寛郎は「反ブリコラージュ」なのか。(前記事を参照されたい)

彼がジャングルから出てきた時、旧日本軍そのままの出で立ちで現れた。29年間も同じ服装、装備を維持してきた。生きる延びるための知識、方法も、「陸軍中野学校」で学んだ思想をそのまま実践してきたのだ。

木綿の軍服を29年間も維持させてきたのは、2か月かけて針を作り、古い服から糸を紡ぎだして、補修を繰りかえして元のカタチを留めた。その意味では、工夫する「知」は健全であり、「ブリコラージュ」ともいえる。

しかし生き延びるための思想、精神そのものは、「陸軍中野学校」直伝のものと寸分の違い・狂いがない。現前する人、モノに対して、その智恵や方法がいささかも改変されることはなかった。

新しい「世界」が目の前にあるのに、古い「世界観」ですべてに対応しようとすることだ。「目標」と「目的」に拘泥して、闘い方への新たな発想や、別のなにかに転換した工夫があったわけではない。その意味で、「反ブリコラージュ」だと言いたい。今さら何をか、いわんやであるが。

小野田寛郎氏は、グアムから生還した横井庄一氏の対談を拒否したという。横井は、兵器である銃剣を穴掘り道具に使ったことがその理由とのこと。天皇陛下から賜った兵器を、穴掘りに使ったことが許せなかったらしい。この意味においてまさに、横井庄一さんは見事な「ブリコラージュの男」だった、と私はいいたい。


その後、小野田さんは「英雄」として帰国を果たした。が、驚くことに1年半で日本を離れた。新婚の妻と伴に、次兄のいるブラジルに移住したのである。

平和な日本、敗戦しても豊かな日本、アメリカに徹底従属する日本、彼にとっては居心地のいい国ではなかったのであろうか・・。

ブラジルでは森を開拓し、牧場を経営し、事業家として成功した。BS放送では「目的をもつこと大切さ」を、穏やかな顔つきで語っていた。

▲90歳前後の頃であろうか。鋭い眼光は失せ、優しさの表情のなかに何かを達成した余裕、貫録がうかがえる。

小野田寛郎氏の帰国したばかりの日本全体の熱狂、地元でのエピソードは、放送で紹介されたのでここには書かない(小野田さんの孤独、悲哀に誰もが気がつかない。誤解による私憤さえフォローしない)。

その後、定期的に帰国し、少年たちのためのサバイバル活動はじめ、慈善活動や講演を精力的に行なった。晩年は東京に在住していたらしい。今から4年前、享年92歳で波乱の人生に幕を閉じた。

一方ルバング島では、いまだ憎しみは消えないという年配の女性、小野田少尉にたいする恨み・反感は根強いと、多くの老人たちは苦しそうに語っていた。だが、ひとりの長老が、「永い歳月が恨み辛みを忘れさせ、いまはもう彼を赦している」といい、周りの老人たちも肯いている様子が映された。

確かに30人近い島民が殺された事実もあり、小野田はじめ旧日本軍へのルサンチマンは歴史に刻まれている。小野田さん自身も、そのことを誰かに語ったこともあったらしい。彼はヒーローとしての軍人像を虚像だと自覚していたようだが、ルバング島での軍事(犯罪)行動は正統であり、天皇陛下の意にそったものだったと胸に秘めていたかもしれない。


「反ブリコラージュの男」と形容する筆者、私は、故小野田寛郎氏を責めるわけでも、過去に遡って非難したいわけではない。

戦争を勝利に導くために、彼は己の任務を全うしたまでだ。目的と手段をブレることなく全力で遂行した、旧日本軍人のひとりである。遅い戦後をむかえ、平和を祈り、日本社会に貢献しようと、彼なりの生き方の転換を見事に成し遂げ、誠心誠意彼なりの努力で、称賛されるべき成功者となった。その生きた実例が、小野田寛郎といえる。

 

ただ、追記として以下のことにふれておく。

個人的な感想を述べると、小野田寛郎さんはなぜルバング島へ慰霊に行かなかったのだろうか(行ったかもしれない)。島民に遭うことは畏怖することであり、赦しを乞うことは彼の矜持が許さなかったのか。亡くなった島民への贖罪は、どのような心理過程でなされたのであろうか・・。いや為されなかったかもしれない。

『沖縄スパイ戦史』には、二人の「陸軍中野学校」出身の将校が、その生涯を終えるまで、彼らの任地である沖縄北部に毎年、慰霊と慰問に訪れたことがさりげなく紹介されていた。

それにしても「戦争」というものは、人間を「狂信」させ「邪悪」に陥らせる。立場によっては、言うことも憚れる「鬼の所業」に向かわせる。「戦争」を絶対にしない「国民」であらねばならない。

安倍政権になってから、そうした願いや志しは蔑ろにされ、戦争に主体的に関われるように制度が整えられつつある。日本の安全保障を、恒にアメリカとのセットで考えざるをえない状況も、もはや動かない既成事実となってきた。

しかし、この国の未来を考えるとき、「戦争ができる国」を前提にして考える人たちの手に、決して安易に譲ってはならない。

 

追・追記として・・。

日本の戦争が、国益・国策を優先した侵略戦争であったのか、それとも欧米列強によるアジア侵略に対するアジア独立のための戦い「大東亜戦争」であったか、そのどちらかに限定・固定した考え方をする人がいまだにいる。そのどちらの側面があることは、歴史の諸事実から明白である。戦争は誰もがわかる、単純明快な理由から始まるわけがない。

また、戦死したご遺族のなかに、命令を下した側の立場を慮ってか、英霊の遺志に添わない言動は慎むべきだと、勝手に解釈する方たちがいる。ご自分の考え、判断で「戦争」について考えていただきたい。立場主義に則った発言、たとえば戦争の肯定などは、御霊にとっても決して欣幸となりえない。

平成の最後となる八月に、「陸軍中野学校」と故小野田寛郎を焦点に「戦争」を考えてみた。

ブリコラージュ云々は、私の思考の趣味、起動フック。全体の主旨に外れるとの指摘があるかもしれない。わたしの頭のなかには、文中にあるように故横井庄一氏の存在も意識せざるをえなかった。その点を斟酌していただければと願うのみである。

 

 


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2 コメント

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Unknown (スナフキンÀ)
2022-06-21 21:20:32
こんばんわ。先ずこの記事を読んでいたかと言うと、存在も意識していなかったです。正直言えば。続く尾畑さんの記事についてはサムネイルの彼の写真に反応さたので、プリコラージュ…のキャッチには全く関心がなく、故にこの記事の内容確認はさてません。そもそもプリコラージュの意味も解らないので。正直、どこの言葉かすら解らない外来語が氾濫するのを気分悪く思っているので、世間的に普通に利用価値があると認めたカタカナ言葉いがいには反発を感じます。

○映画の存在は知っていたが、眠狂四郎の市川雷蔵主演とは知らなかった。伝え聞くとそこそこ原作(聞き書きのノンフィクション)を忠実に(様々なエピソードの継ぎ接ぎだけれど)扱っているそうです。

○畠山清行 実録中野学校シリーズ全6巻+補足巻数冊はベストセラーになった。最近、昭和史研究家の尽力で合本の文庫が数冊、新潮から出ている。 中野やGHQ統治時代の他、実は埋蔵金研究の元祖というべき作家で、「日本の埋蔵金」はトレジャーハンターのバイブル本。
日本トレジャーハンター協会長の八重山弘氏は、徳川埋蔵金を一緒に探した直弟子。
アナーキスト運動で警察から逃れる為に、埋蔵金を掘る人の手伝いをしてその道に入り、スリの仲間に入って軍に徴用されたり…という変わった経歴かつカストリ本などでデビューている為に、雑書あつかいされてますが、彼の著書には「現場を見た人の一次情報」で構成される点が、特別に価値あるとさらる。徳川埋蔵金なとまにしても、取材を始めた戦前に関係者が生存していた。同様に彼の中野本の評価が高いのは、
真実か否かはともかく、全て中野出身て諜報活動に携わった本人たにからの聞き書きてあると思われます。

○小野田さんが帰国した当時、その鋭い眼光は小学生の私にも鮮烈な記憶に残ってます。25年ほどして東京新聞の「私の履歴書」に書かれた自伝は大変な評判になり単行本になった記憶があります。
つまり私は英雄視までには至らぬものの、彼に対して好印象を持っている事を予め書いておきます。

正直にプリコラージュなるワードの使用に、わざわざ世間的に広く認知されている外来語カタカナ言葉を用いておられる事に第一印象深いは
「スカしてる」です!
わざわざカタカナにする必要を全く感じない!!
そしてフ的とか反プリコラージュ的という評価に対して、全く妥当性を感じられない。
小野田氏が頑なに戦闘継続していたのは、別に思考停止して頭が硬かったからではなく、何人も官憲や民間人を殺めているので、殺人犯とさらる危惧があったからでせう。また、軍人たる事を形の上から(軍刀や軍服のきちんとした保存)維持する事が、捕縛された時に殺人犯でなく、軍人として扱われる為の自己証明だからでせう。
極めて現実的で柔軟な思考の持ち主であり、むしろ常識や状況の変化に合わせて行動原理を変えてゆける人物と思われます。
それは少し考えれば解る事だと思いますが?
銃剣をシャベル代わりにした横井氏が常識の変化に思考を合わせてゆける人物でおり、小野田氏を石頭ごとく書くのは、底に戦後民主主義を絶対価値としてきた人の底意地の悪い偏見を見ますね。
そうではないと言いながら、御自分の価値観とは相容れない軍人を回りくどく誹謗しているとしかお燃えませんでした。
読んでいて非常に不愉快でしたね。プリコラージュ的とかそうでないとか、知らない言葉で上から目線で評価を下されているようで、非常に不愉快な気持ちになりました。これが偽りなき本音の感想です。
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カッカすんなよ (小寄道)
2022-06-21 23:06:21
スカそうと思ってカタカナ語を使っているんじゃない。日本語にない概念の言葉だから、やむなく採用したまで。読者のことを考える余裕がなかったのかな。
そういう記事で気分が悪い、不愉快になるのだったら読むことを中止すれば事は済む。

自分の価値観とは相容れない軍人というが、あなたのその価値観とはなんだ。
ヒトの記事の文脈を理解しないのに、不愉快という感情を一方的に、その記事の書き手に送りつけるあなたの品性を、私はもう斟酌することができない。

ということで、今後、あなたのコメントを拙ブログに公開することは中止することにしました。
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