鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

65 閉塞界の冬陽

2018-11-29 14:21:07 | 日記
SNSで自分の周囲の雑草と空の写真ばかり撮っている人を見かけた。
狭くて平凡な身の回りの、一般的には見るべき物も無い閉塞世界のドキュメントだ。
それでも写真の枯草は冬の淡い光の中で輝き、微かな温もりまでも感じさせる。
この地味な一連の写真は、当人に取っての寂光浄土への到達なのだろう。
この人ならきっと煉獄に居ても何かしらの喜びを見出せると思う。

(著者身辺の雑草)
20世紀マテリアリズムの価値観では例え終の住処、安住の地に辿り着いていても、その恵みを享受できず感じ取りづらい。
宗教哲学に代わる物を見出せない現代人は、常に閉塞感の漂う社会概念の中で足掻き続ける定めだ。
一方隠者は言うなれば自ら好んで閉塞している訳で、偉そうに聞こえるだろうが一応その中で内面世界の深化に努めている。
達磨は面壁9年、岩窟の中に閉じ籠って禅を創り上げた。
私もまだ渡世のしがらみで週1日は都会に出掛けるものの、それ以外の引き籠りの年数では達磨に負けていない。
今は誰でも一人前の大人なら世界の何処にでも行けるし、その気になればその地に住みつく事も出来るだろう。
従って現代人に空間的な閉塞状況はあまり無いので、多くの人は社会や人間関係に閉塞感を抱いているのだと思う。
我々世捨人はその点では人間(じんかん)をほぼ脱しているので気楽だ。

(路傍の冬陽)
伝説の聖フランチェスコのように小鳥や野の花にも天の恩寵を感じられれば、宗教的法悦とまでは行かないものの、少なくとも閉塞感は拭い去れる。
隠者の願いもそのような恩寵への陶酔感に満ちた日常にある。
詩的生活と言う程ドラマチックでは無いものの、日々の些細な恵みを感じ取れるだけの感応力は鍛えて来たのだ。

(鵯の声は実はあまり美しくはない)
---幾千の枯枝の隙鳥の声---

©︎甲士三郎