鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

63 冬の花園

2018-11-15 14:17:50 | 日記
---廃園の女神の像に薄日さし 今年最後の蝶の息づく---(旧作)
5月頃のブログに書いて楽しみにしていた秋冬の薔薇園へ行ってきた。
立冬と言えど鎌倉の紅葉は例年12月なので、周囲はまだ初冬より秋の雰囲気だ。
ただ今年は台風の塩害で樹々の葉が傷んで、紅葉する前の10月中にもだいぶ散っている。
今回は中世ヨーロッパの陰鬱な僧院のイメージで曇り日を選んで行ったのだが、薔薇の葉はまだ緑が濃く花も元気すぎて、もう10日ほど後が良かっただろう。

それでも閑散とした冬の花園の雰囲気はじつに隠者好みで、ぶらぶらと小一時間の思索には程良い環境だ。
薔薇を象徴とした唯名論と実在論の長きに渡る普遍論争は、前世紀には小説や映画の題材にもなった。(薔薇の名前)
歴代の賢者達が千年間も飽きずに楽しめた論題など滅多にないだろう。
現代人はすっかり物質文明に毒されているので、当時のあまりにもスピリチュアルな論争は馬鹿げて見えるかも知れない。
しかし中世の哲学や神学にしても、その魂や精神的な美しさは今の物質的実利主義より遥かに上だ。
隠者なら物質か精神かと問われれば精神を選ぶのは当然だが、現代では社会としては実利を取り個人としては精神性を重視するのが賢いだろう。


(蔓薔薇の実)
冬の間の我が画室には、薔薇の実や山茱萸の実の一枝をよく飾っている。
実物(みもの)は花物よりずっと長持ちで重宝するし、その赤は色彩の乏しい時期に精神の種火となってくれる。
以前にも話したが中世修道院の薔薇園は香油生産の為に作られていて、教会が香油を独占する為に妖魔の花とまで言って世俗の薔薇栽培を禁止した。
薔薇も実となればそのような歴史の美醜にも囚われず、只々赤く中世を灯すかのようだ。

©️甲士三郎

⭐︎重要訂正(本文訂正済み)
「60 隠者の夜長」文中
誤:ウィリアム ソロー
正:ヘンリー ソロー