和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

海の日/今日の俳句 ≪第.1839号≫

2015年07月20日 06時21分48秒 | 今日の俳句





海の日や療養所には金魚池          村越 化石


帆船は帆を張り海の日を祝ふ         杉 良介


海の日や宝石箱の蓋開けよう         佐伯 幸恵


あおあおと海の日のきて海平ら        濱口 宏子


太陽の容赦なき日よ海の日は         能村 研三






※ 海の日
海の日は、1995年(平成7年)に制定され、1996年(平成8年)から施行された日本の国民の祝日の一つである。制定当初は7月20日だった。
2003年(平成15年)の祝日法改正(ハッピーマンデー制度)により、7月の第3月曜日となった。 ただし、初年度の2003年は偶然7月21日になったため、振替休日と重なった。
国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条では、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としている。
国土交通省の文書の記述などによると「世界の国々の中で『海の日』を国民の祝日としている国は唯一日本だけ」という。
2007年(平成19年)に制定された海洋基本法第13条は「国及び地方公共団体は、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)第2条に規定する海の日において、国民の間に広く海洋についての理解と関心を深めるような行事が実施されるよう努めなければならない」と海の日の行事について定めている。
海の日が制定された1996年(平成8年)以降、7月20日から31日までの12日間を「海の旬間(じゅんかん)」とし、国土交通省海事局が中心となり、地方公共団体、海事関係団体などとともに、海事思想の普及のための活動を実施してきた。
2003年(平成15年)以降は、海の日の三連休化に伴い旬間を月間化し、広く国民に「海」に対する理解と認識を高めてもらうために、海の日を含む7月1日から31日までの1か月間を「海の月間」と定めた。国土交通省海事局が中心となり、関係省庁、地方公共団体、海事関係団体などとともに、「海フェスタ」を始め、全国各地で行われる海に関する各種様々なイベントの紹介を行っている。
なお2014年に「海の恩恵に感謝する日だったはずが、単なるお祭りになってしまった」として、超党派の国会議員からなる海事振興連盟により7月20日に固定化する議案が出され、2016年から当初の7月20日に戻そうとする流れにある。
                             

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%97%A5
                     


                     


                
     ※☆*わが友に贈る*☆※



  共に大成長の夏だ。

  清々しい勤行から出発!

  創価ファミリーの

  祈りとエールで

  宝の未来部を育もう!

        2015年7月20日                   





             
     ※☆*寸 鉄*☆※


広島で世界平和音楽祭。若き情熱と希望の音律。核廃絶へ民衆の連帯拡大

        ◇

「鳥取県婦人部の日」。日本一明るい山光の母!わが郷土を照らす太陽と

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力といえども知性なくしては無に等しいー皇帝(ナポレオン)。時代は本格派の青年待つ

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スマホ依存の高校生、心身の不調が3割ー調査。まず大人が賢明な活用を

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温室ガス26%削減ー政府が新目標を国連に提出。衆知集め地球環境を保護                         



 





                
     ※☆*名字の言*☆※


「音楽隊、ありがとう」と叫ぶ男子部員がいた。今月12日、創価大学で行われた全国男子部幹部会。終了後、参加者が退場する際のひとこまである



実は、ちょっとしたハプニングがあった。創価グロリア吹奏楽団、東京管弦楽団、創価山梨リード吹奏楽団が“見送り演奏”をした。だが参加者が大人数のため、退場に予想以上の時間がかかった



“同志が残る限り、演奏しよう!”。学会歌、クラシック、洋楽メドレー……。幹部会での演奏の疲れも見せず、奏で続けること約1時間。最後の人が扉を出た時、「母」の曲で演奏は終わった



なぜ音楽は生まれたのか。バイオリンの巨匠ユーディー・メニューイン氏は、こう表現する。「他人の心になんとかして触れたいというやむにやまれぬ欲求から生まれた」(別宮貞徳訳)。そして、ナチスの強制収用所の生存者をはじめ、病める人、生活に困窮する人への慈善演奏に力を入れた。あふれる人間愛が、氏の妙技の源だった



幹部会後の“見送り演奏”を終え、音楽隊員たちは立ち上がり、誰もいなくなった客席に一礼した。「ありがとうございました!」。この真心で奏でる響きが、人の胸を打つ。この夏、各地のコンクールに挑み、パレードを飾る“広布楽雄”にエールを送りたい。(肇)                                                                   

【聖教新聞:2015年(平成27年)7月20日(月)付】
                     


                                         
                

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