和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

福光(二十七)新・人間革命

2011年10月03日 06時49分35秒 | 今日の俳句
    新・人間革命

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    福  光(二十七)

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 鈴村裕孝に、兄は言った。


 「いいところに来た。今、学会の座談会をやっているから、話を聞いていきなさい。さあ、前の方へ!」


 裕孝は、兄には頭が上がらなかった。不承不承、そのまま、座談会に出席した。


 集っている人の身なりを見ると、あまり裕福そうな人はいなかった。しかし、皆、瞳を輝かせ、〓を紅潮させながら、信心で病や生活苦を乗り越えた体験などを、生き生きと語っていた。そして、その言葉には、必ず幸せになれるのだという確信があふれていた。


 彼は、信仰の喜びに弾む生命が放つ、まぶしいほどの明るさを感じた。


 また、妻が病に苦しんでいることを話すと、皆が、「この信心で必ず乗り越えられます!」と、確信をもって語るのである。


 弘教の原動力は確信にある。何があろうが、絶対に幸福になれるのだという確信から発する魂の叫びが、人の心を打つのである。


 座談会から三カ月後の翌年一月、裕孝は入会した。兄は、文京支部の日本橋地区に所属していたため、裕孝も同じ組織になった。


 裕孝の入会に、妻のアイは反対であった。彼女はクリスチャンであり、実家には教会が建てられ、兄が牧師をしていた。創価学会について、よく知らなかった彼女は、〝えたいの知れない宗教〟に入ったように感じたのだ。


 裕孝は、妻が健康になってほしいとの思いで、懸命に信心に励んだ。しかし、アイは、裕孝が「会合に行く」と言えば、「行かないでよ」と大騒ぎし、実家の姉まで呼んで、信心をやめるように迫った。


 鈴村の家には、東京や福島県の浜通りにある小名浜から、文京支部の幹部や会員が、よく訪ねて来るようになった。


 そのなかに、日本橋地区の地区部長である島寺丈人や、小名浜に住む菅田歌枝がいたのである。


 鈴村家を訪問した会員たちは、妻のアイにも丁重にあいさつし、励ましの言葉をかけ、体験を語り、仏法の功力を訴えていった。


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(聖教新聞・2011/10/3)より転載」
http://m.seikyoonline.jp/top/top?t=805&sk=377037b65d04f4e970507bffe8ed9125


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