和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心16/小説「新・人間革命」

2015年05月18日 07時56分02秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 5月18日(月)より転載】

【革心16】


 北京に向かった孫文の体は、既に病に侵されていた。一九二五年(大正十四年)三月、彼は、北京で五十八歳の生涯を閉じる。

 彼の最後の言葉とされるのが、「現在、革命、なおいまだ成功せず」(注)である。悪と戦い続けることが、革命の道である。

 孫文亡きあと、国民党右派の蒋介石は、国民革命軍総司令となるが、共産党との対立姿勢を明らかにし、南京に国民政府を樹立。第一次国共合作は崩れ去ったのである。

 孫文の妻、宋慶齢は、夫の死後、国民党の中央執行委員となった。彼女の妹・宋美齢は、蒋介石の妻である。しかし、宋慶齢は、ソ連との協力、共産主義の容認という孫文の政策を貫くことを訴え、蒋介石に抗議している。

 三一年(昭和六年)、満州事変が起こる。

 宋慶齢は、国民党と共産党は、互いに協力して抗日戦を展開すべきであると、国共合作を強く主張。日中戦争を機に第二次国共合作が成る。だが、戦後は両者の争いが激化し、中国は内戦状態になっていった。そして、国民党は共産党に敗れ、蒋介石は台湾に去る。                               

 宋慶齢は、孫文の志を受け継ぐ道を、共産党に見いだしていた。

 四九年(同二十四年)の中華人民共和国誕生後は、中央人民政府副主席、国家副主席を努めるなど、新生・中国を支えてきた。

 彼女は、山本伸一の第四次訪中の時には、既に八十五歳の高齢であったが、全人代常務委員会副委員長に就いており、国家を代表する存在として活躍していたのである。



 九月十一日夕刻、伸一は、孫中山故居を見学しながら、同行のメンバーに語った。

 「なぜ、国民党は、共産党に敗れたのか。さまざまな要素があったと思うが、人民の支持を得られなかったことだ。国民党には、幹部が私腹を肥やすなど、腐敗、堕落が横行していた。人びとは、そうした姿に失望し、心が離れていった。革命の理想を体現するのは人だ。人間の生き方がすべてだよ」






■ 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「遺嘱」(『孫文選集 第3巻』所収)林要三訳、社会思想社
※ 主な参考文献
 鈴江言一著『孫文伝』岩波書店
 藤井昇三著『孫文の研究』勁草書房
 『世界の名著64 孫文 毛沢東』小野川秀美・責任編集 中央公論社
 イスラエル・エプシュタイン著『宋慶齢』久保田博子訳、サイマル出版会




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