和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

福光(七)新・人間革命

2011年09月08日 06時33分50秒 | 今日の俳句
    新・人間革命

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    福  光(七)

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 山本伸一は、再び歩き始め、第二代会長・戸田城聖の、歌碑の前に立った。


 そこには、伸一の文字で、「妙法の 広布の旅は 遠けれど 共に励まし とも共に征かなむ」との、戸田の歌が刻まれていた。


 伸一は、その碑を見ながら、県長の榛葉則男に、なおも話し続けた。


 「この戸田先生の歌碑は、明日、正式に除幕式を行うんだね。


 戸田先生は、本当に青年を大切にされた。広布の旅は長征だ。何代もかけて成していく大事業だ。だから青年を育てるしかない。県長は、全力で青年部を育てるんだよ。


 学会が年々歳々、大前進を遂げてきたのは、青年を育成してきたからだ。私も、三十二歳で会長に就任した時から、青年を育てるために、全精魂を注ぎ抜いてきました」


 「先生は、どのようなことを心がけて、青年の育成に当たられたんでしょうか」


 幹部の一人が、伸一に尋ねた。


 「いい質問だね。私は常に、自分の方から青年たちに声をかけ、率直に対話し、励ましてきた。幹部が、つんと澄まして、知らん顔をしているようでは駄目です。胸襟を開いて飛び込んでいくんです。


 たとえば、座談会の終わりごろに、仕事を終えて駆けつけて来た青年がいたら、『よく来たね。ご苦労様! 大変だっただろう。頑張ったね』と、包み込むように、力の限り励ましていくんです。そうすれば、〝次も頑張って参加しよう〟と思うものです。


 それを、“遅れて来てなんだ!”というような顔をして、声もかけなければ、〝もう、来るのはよそう〟と思ってしまう。


 『励ます』ということは、『讃える』ということでもあるんです」


 皆、大きく頷いた。


 「また、私は、青年を包容しながら、大きな責任を託した。実戦こそが最高の学習の場だからです。そして、失敗した時には、最後は、全部、私が責任を取った。大切なのは、その度量だよ」

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(聖教新聞・2011/9/8)より転載」
http://m.seikyoonline.jp/top/top?t=805&sk=377037b65d04f4e970507bffe8ed9125


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