【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 3月16日(月)より転載】
【大道29】
山本伸一が、記念勤行会の会場となった大広間に姿を現すと、大きな拍手がわき起こった。午後四時前、勤行会が始まった。
伸一は、参加者と厳粛に、勤行・唱題したあと、「四条金吾殿御返事」を拝した。そして、冒頭の「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(御書一一四三ページ)の御文を通して、真実の「遊楽」とは何かについて語っていった。
「私たちは、『遊楽』を満喫するために、この世に生まれてきました。では、どうすれば、『遊楽』を得られるか。この御書には、それが明示されております。
『遊楽』というと、世間では、ただ、遊びふけって、面白おかしく人生を生きることのように思われがちです。しかし、そこには、生の充実はなく、空しさが残る。なぜなら、それは、自分の欲望を満たす『欲楽』を追い求めることだからです。
人の欲望には限りがない。際限なく肥大していきます。その欲望が満たされなければ、苦しみを感じてしまう。
本当の『遊楽』とは、『法楽』すなわち法を享受して得られる喜びです。唱題に、弘教に励み、いかなる試練にも負けない仏の生命を涌現させ、周囲を寂光土へと転じていく――そこに、自分の内から滾々と湧きいずる大歓喜があります。それが、『自受法楽』です。
つまり、真実の『遊楽』を得る道は、自行化他にわたる南無妙法蓮華経の実践しかありません。享楽にふけって、遊び暮らすなかには、『遊楽』はないんです。
仏道修行は苦しく、大変であるように思えるかもしれない。でも、そのなかに、私たちの日々の学会活動のなかに、本当の『遊楽』があるんです。
“この友人に弘教しよう!”と題目を唱え、懸命に仏法対話に励んだ時の、あの生命の躍動を、充実感を、歓喜を、思い起こしてください。自ら勇んで戦いを起こすならば、学会活動即歓喜なんです」
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山本伸一が、記念勤行会の会場となった大広間に姿を現すと、大きな拍手がわき起こった。午後四時前、勤行会が始まった。
伸一は、参加者と厳粛に、勤行・唱題したあと、「四条金吾殿御返事」を拝した。そして、冒頭の「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(御書一一四三ページ)の御文を通して、真実の「遊楽」とは何かについて語っていった。
「私たちは、『遊楽』を満喫するために、この世に生まれてきました。では、どうすれば、『遊楽』を得られるか。この御書には、それが明示されております。
『遊楽』というと、世間では、ただ、遊びふけって、面白おかしく人生を生きることのように思われがちです。しかし、そこには、生の充実はなく、空しさが残る。なぜなら、それは、自分の欲望を満たす『欲楽』を追い求めることだからです。
人の欲望には限りがない。際限なく肥大していきます。その欲望が満たされなければ、苦しみを感じてしまう。
本当の『遊楽』とは、『法楽』すなわち法を享受して得られる喜びです。唱題に、弘教に励み、いかなる試練にも負けない仏の生命を涌現させ、周囲を寂光土へと転じていく――そこに、自分の内から滾々と湧きいずる大歓喜があります。それが、『自受法楽』です。
つまり、真実の『遊楽』を得る道は、自行化他にわたる南無妙法蓮華経の実践しかありません。享楽にふけって、遊び暮らすなかには、『遊楽』はないんです。
仏道修行は苦しく、大変であるように思えるかもしれない。でも、そのなかに、私たちの日々の学会活動のなかに、本当の『遊楽』があるんです。
“この友人に弘教しよう!”と題目を唱え、懸命に仏法対話に励んだ時の、あの生命の躍動を、充実感を、歓喜を、思い起こしてください。自ら勇んで戦いを起こすならば、学会活動即歓喜なんです」
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