和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心37/小説「新・人間革命」

2015年06月11日 06時38分01秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 6月11日(木)より転載】

【革心37】

 山本伸一の平和建設への覚悟を聞いて、雨花台烈士陵園で出合った人たちは、大きく頷いていた。

 伸一は、さらに言葉をついだ。

 「私は、母親が、戦争で長兄が死んだことを知って悲嘆に暮れ、肩を震わせて泣きじゃくる姿を、今でも忘れることはできません。同じ思いをされたであろう皆さんの、苦しみも、悲しみも、よくわかります。

 だから、私は、平和のために生きようと心を決めました。日本と中国の間に、友好の崩れぬ橋を架けようと誓ったんです。

 居合わせた人びとは、それぞれが中国語で、「そうだ。その通りだ」と言いながら、感極まった顔で、再び伸一に握手を求めた。

 烈士陵園をあとにした一行は、南京市の北西部に位置する南京長江大橋を視察した。長江とは揚子江のことであり、長江大橋は中国東部を南北に結ぶ大動脈である。

 現地に着くと、一行は、三百分の一の模型を前に、担当者から詳しく説明を受けた。

 担当者は二十歳前後の女性であった。

 「長江大橋の建設には、一九六〇年(昭和三十五年)から六八年(同四十三年)まで、足かけ九年の歳月を要しました。橋の上部が道路用、下部が鉄道用の二層構造です。鉄道橋の全長は六千七百七十二メートル。道路橋の全長は四千五百八十九メートル。幅は一九・五メートルです。この橋は、中国人民の手で設計し、中国人民の技術で築いたものです」

 中ソ間の対立で、当初、予定されたソ連の援助が受けられなくなったが、「自力更生」の精神で、困難な状況を跳ね返し、見事に完成させたという。

 伸一は、はつらつと胸を張って語る彼女の姿に、未来への希望を感じた。国も、団体も、青年が自信と誇りにあふれ、喜々として前進しているところは、栄え、発展していくからだ。





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