和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

葬儀に堕落坊主の導師は不要

2010年01月02日 14時04分22秒 | 日記
        日顕宗

大謗法への供養こそ堕地獄の因

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2010/1月1日(金)

   創価新報より転載


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☆ 学会の「友人葬」に広がる共感 ☆ 

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 折伏の出来ない日顕宗がまたも呆れた愚策で失笑を買っている。
 最近、法華講員にお粗末なビラを持たせて家を回らせ、逆に返り討ちに遭うという無様な事例が相次いでいる。


 本山から1枚10円で末寺や信徒に売りつけられているというこのビラ、中身を見れば、まったく幼稚で低次元な代物。




 ビラには、”葬儀“についてこう書いてある。 ”僧侶のいない葬儀では故人は浮かばれない“ ”間違った葬儀を行えば故人を苦しめる“
 要は、これまでの使い古し。「法主が引導を渡さなければ故人は成仏できない」という破折され尽くした言い分を、またぞろ繰り返しているに過ぎない。


 そもそも大聖人は、”僧侶がいなければ成仏できない“などとは、御書のどこを見ても一言も仰せになっていない。

 故人の成仏についてはこう断言されてある。

 「南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり」(御書712㌻)
           
 大事なのは追善回向の真心からの題目なのである。
 家族を亡くした門下を励まされた時も、「過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり」(同1423㌻)と、
 題目根本であることを徹して説かれている。

 ちなみに、史実を見ても、大聖人ご自身が信徒の葬儀の導師をされたという記録はない。


 大聖人の名を騙り、葬儀を金儲けの道具に利用する日顕宗への供養こそ堕地獄の因なのだ。




 学会の友人葬には遺族や参列者から多くの反響、感動の声が寄せられている。


 その友人葬についても、「葬儀の導師としての正しい心得も知らない」などと難クセをつけているが、笑止千万。


 勤行もロクにしなければ、題目もあげない。折伏もやらない。折伏もやらない。葬儀の心得どころか信心の基本すらできていないのが日顕宗の坊主ではないか。


 信心なき坊主に、葬儀の心得や良識などあるわけもない。事実、目に余る坊主の行体の数々ーー。


 葬儀の際、軽自動車で迎えに来た遺族に対して、「こんな車に乗れるか!」と吐き捨てた暴言坊主。


 葬式のお清めの席で最後まで酒をあおり、食い散らかした非常識坊主。


 気にいらないことがあれば、すぐに葬儀業者を怒鳴り散らす激高坊主。


 葬祭場に着くや、いきなり受付で30万円の供養を請求する。あるいは、塔婆を何本も何本も立てさせて、親族の怒りを買った強欲坊主。


 葬儀に遅刻する。念珠を忘れる。袈裟を忘れる。唱題中にイビキがマイクで聞こえるほど居眠りをする。


 ーー信心のかけらもない大醜態。こんな堕落坊主に、誰が葬儀を頼むのか。こうした坊主の言動が原因で日顕宗と決別した人も数多くいる。未入信の親族を激怒させたケースも数え切れない。


 他宗でもこんな低レベルなクレームはなかろう。日顕宗は、”葬式仏教“以下、最低最悪の邪教団なのだ。


 宗門は、友人葬、同志葬をとやかく言う前に、まず坊主の性根と人格を叩き直したらどうなのか。                                                                                

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