和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

大道55/小説「新・人間革命」

2015年04月15日 14時52分00秒 | 今日の俳句
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 4月15日(水)より転載】



【大道55】

 合唱指導を担当していた宮尾一志は、電話機を使って録音した「青葉の誓い」のテープを聴きながら、譜面に起こした。聴き取りにくいところは、何度も巻き戻して再生した。
 やっとの思いで、出来上がった譜面を複写し、男女青年部の合唱団二十人ほどに、米沢文化会館へ来てもらい、練習した。夜の部の開演時刻は、刻々と迫ってくる。
 まさに、時間との戦いであった。
 学会の強さは、このスピードにあった。何事も素早く手を打つ、迅速な行動で勝ってきたのである。
 メンバーの胸には、“先生が作詞だけでなく、作曲までしてくださった!”という思いが、歓喜となってほとばしっていた。
 夜の部の公演のフィナーレのあと、あいさつに立った東北総合長の青田進は、顔中に喜びをたたえて語った。
 「本日、山本先生の作詞作曲による、東北の歌が完成しました! 曲名は『青葉の誓い』です。それでは、発表いたします!」
 場内に歓喜の拍手が爆発した。
 合唱団が歌を披露したあと、皆で練習し、全参加者による大合唱となった。「青葉の誓い」が、初めて東北の天地に響き渡った。
  
 ♪青葉の森に 誓いたる
  我等の誇り 忘れまじ……
  
 東北に、新生の歌声が轟いた。それは、人間讃歌の歌声であった。
 東北の歌「青葉の誓い」は、八月八日付の「聖教新聞」に歌詞と楽譜が掲載された。この日の昼、仙台では、婦人部、女子部の合唱団が青葉城址に集まり、歌の練習を開始した。歌声は、希望の調べとなって、苔むした城の石垣に、生い茂る木々にこだまし、青空に広がっていった。
 この「青葉の誓い」は、嬉しい時には、喜びの歌となり、悲しい時には、自らを鼓舞する勇気の歌となって、東北の同志の心に響き続けていくのである。



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