和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

共 戦(十二)新・人間革命

2011年11月25日 11時29分46秒 | 今日の俳句
    新・人間革命

∞…♪…★…κ…∞…♪∞…♪

    共 戦(十二)

∞…♪…★…κ…∞…♪∞…♪


 山本伸一の指導に、山内光元は答えた。
 「はい! 終生、戦い続けます」
 強い決意のこもった声であった。
 伸一は、にっこりと頷いた。
 山内は、小柄な体に熱い情熱を秘め、下関の人びとの幸せのために奔走し抜いてきた。
 彼は、山陰地方の神主の家に生まれ、子どものころから、神札作りを手伝わされて育った。自分が、いやいやながら、投げやりな気持ちで作った神札を、霊験あらたかなものであるかのように尊び、敬う大人たちを見ると、不思議な気がした。滑稽にさえ思えた。
 大阪の商業学校を出た山内は、職を転々とした末に、食堂を始めた。懸命に努力して店舗も増やし、いよいよ経営が軌道に乗ってきた時に、先物取引で失敗する。
 そのうえ従業員にも金を持ち逃げされ、事業は破綻した。戦時中は、徴兵され、満州(現在の中国東北部)で、生死の境をさまようような経験もした。
 悲惨極まりない戦争体験を経るなかで、彼は“神も仏もいない”という思いをいだき、無神論者になっていった。
 三十七歳で終戦を迎えた彼は、戦後、下関で一郵便局員から、人生の再スタートを切った。既に結婚し、子どもも四人いた。一家を支えるには、あまりにも薄給であった。
 山内は、労働運動に身を投じていった。世の中の不平等、貧富の差をなくしたかった。懸命に運動の先頭に立って闘う山内の名は、組合運動の闘士として知れ渡っていった。
 しかし、組合内部の権力闘争に躍起となる上層部の姿に、運動への情熱は、次第に冷めていった。また、妻の照子は、胃弱、心臓病で苦しんでおり、人生への失望感が、日増しに強くなっていくのであった。
 彼の酒量は増し、生活もすさんでいった。
 “俺の人生は、いったい、どうなっているんだ。頑張って努力し、少し良くなったかと思うと、ストーンと落ちる。貧乏や妻の病気からも、解放されることはない。目に見えない何かに、縛られているようだ……”


【「聖教新聞・2011年11月25日(金)」より転載】
http://m.seikyoonline.jp/top/top?t=805&sk=377037b65d04f4e970507bffe8ed9125


∞…♪…★…κ…∞…♪∞…♪

最新の画像もっと見る

コメントを投稿