小説「新・人間革命」
【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)6月3日(月)より転載】
o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪
奮迅26(6/3)
藤川秀吉が足立支部長に就任して間もないころ、山本伸一は、三分刈りにしている藤川の頭を見て、東京・西神田の学会本部で尋ねたことがあった。
「藤川さんは、どうしていつも、三分刈りにされているんですか」
「溶接の仕事をするには、短い三分刈りの方がいいということもありますが、実は親父の遺言でもあるんです。親父に、『半人前のうちは髪を伸ばすな』と言われたんです」
「藤川さんほどの方が、どうして半人前なんですか」
「私が支部長を務めている足立支部はB級です。小岩や蒲田などのように、A級の大支部にしなければなりません。それまでは、まだ私は半人前です。足立支部が大支部になったら、皆さんのように髪を長くします」
彼は、組織を預かる者として、強い責任を感じていたのであろう。
足立支部が大支部となり、頭角を現してくると、藤川は髪を長く整えるようになった。
伸一が足立支部長の藤川秀吉の家を初めて訪問したのは、一九五五年(昭和三十年)の春であった。「藤川工業所」の看板が掲げられ、周囲には田んぼが広がっていた。
支部の中心会場になっていた彼の家には、多くの青年たちが出入りしていた。東京大学に在学する学生をはじめ、若者たちが、喜々として集って来るのである。
藤川は、伸一に言った。
「青年を育てなければ、学会の未来はありません。私は、全青年部員のことを、戸田先生の子どもさんであると思っています。その宝のような方々を、お預かりしているんだから、大切に大切に接しています。
青年のためには、なんでもしようと思っています。もし、何かあれば、私は、命懸けで青年を守る決意でおります」
その一念があってこそ、青年は育つのだ。
伸一は青年部の室長として、藤川の思いが嬉しくもあり、ありがたくもあった。彼は、藤川支部長の手を、ぎゅっと握り締めた。
、
【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)6月3日(月)より転載】
o☆:*:.♪o☆:*:.♪o☆:*:.♪
奮迅26(6/3)
藤川秀吉が足立支部長に就任して間もないころ、山本伸一は、三分刈りにしている藤川の頭を見て、東京・西神田の学会本部で尋ねたことがあった。
「藤川さんは、どうしていつも、三分刈りにされているんですか」
「溶接の仕事をするには、短い三分刈りの方がいいということもありますが、実は親父の遺言でもあるんです。親父に、『半人前のうちは髪を伸ばすな』と言われたんです」
「藤川さんほどの方が、どうして半人前なんですか」
「私が支部長を務めている足立支部はB級です。小岩や蒲田などのように、A級の大支部にしなければなりません。それまでは、まだ私は半人前です。足立支部が大支部になったら、皆さんのように髪を長くします」
彼は、組織を預かる者として、強い責任を感じていたのであろう。
足立支部が大支部となり、頭角を現してくると、藤川は髪を長く整えるようになった。
伸一が足立支部長の藤川秀吉の家を初めて訪問したのは、一九五五年(昭和三十年)の春であった。「藤川工業所」の看板が掲げられ、周囲には田んぼが広がっていた。
支部の中心会場になっていた彼の家には、多くの青年たちが出入りしていた。東京大学に在学する学生をはじめ、若者たちが、喜々として集って来るのである。
藤川は、伸一に言った。
「青年を育てなければ、学会の未来はありません。私は、全青年部員のことを、戸田先生の子どもさんであると思っています。その宝のような方々を、お預かりしているんだから、大切に大切に接しています。
青年のためには、なんでもしようと思っています。もし、何かあれば、私は、命懸けで青年を守る決意でおります」
その一念があってこそ、青年は育つのだ。
伸一は青年部の室長として、藤川の思いが嬉しくもあり、ありがたくもあった。彼は、藤川支部長の手を、ぎゅっと握り締めた。
、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます