和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

奮迅26(/小説「新 ・人間革命」

2013年06月03日 23時02分33秒 | 今日の俳句
小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)6月3日(月)より転載】

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奮迅26(6/3)
 藤川秀吉が足立支部長に就任して間もないころ、山本伸一は、三分刈りにしている藤川の頭を見て、東京・西神田の学会本部で尋ねたことがあった。

 「藤川さんは、どうしていつも、三分刈りにされているんですか」

 「溶接の仕事をするには、短い三分刈りの方がいいということもありますが、実は親父の遺言でもあるんです。親父に、『半人前のうちは髪を伸ばすな』と言われたんです」

 「藤川さんほどの方が、どうして半人前なんですか」

 「私が支部長を務めている足立支部はB級です。小岩や蒲田などのように、A級の大支部にしなければなりません。それまでは、まだ私は半人前です。足立支部が大支部になったら、皆さんのように髪を長くします」

 彼は、組織を預かる者として、強い責任を感じていたのであろう。

 足立支部が大支部となり、頭角を現してくると、藤川は髪を長く整えるようになった。

 伸一が足立支部長の藤川秀吉の家を初めて訪問したのは、一九五五年(昭和三十年)の春であった。「藤川工業所」の看板が掲げられ、周囲には田んぼが広がっていた。

 支部の中心会場になっていた彼の家には、多くの青年たちが出入りしていた。東京大学に在学する学生をはじめ、若者たちが、喜々として集って来るのである。

 藤川は、伸一に言った。

 「青年を育てなければ、学会の未来はありません。私は、全青年部員のことを、戸田先生の子どもさんであると思っています。その宝のような方々を、お預かりしているんだから、大切に大切に接しています。

 青年のためには、なんでもしようと思っています。もし、何かあれば、私は、命懸けで青年を守る決意でおります」

 その一念があってこそ、青年は育つのだ。

 伸一は青年部の室長として、藤川の思いが嬉しくもあり、ありがたくもあった。彼は、藤川支部長の手を、ぎゅっと握り締めた。



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