■<2015年(平成27年)3月4日(水)>■
■今日は何の日。記念日
○ ミシンの日
ミシン発明200年を記念して日本家庭用ミシン工業会(現在は日本縫製機械工業会)が1990(平成2)年に制定。「ミ(3)シ(4)ン」の語呂合せ。イギリスのトーマス・セイントが世界で初めてミシンの特許を取得したのは1790(寛政2)年だった。「ミシン」という名前は、 sawing machine(裁縫機械)のmachineがなまったものである。
○ サッシの日
サッシメーカーの吉田工業(現 YKK AP)が制定。「サッ(3)シ(4)」の語呂合せ。
○ バウムクーヘンの日
神戸のドイツ菓子製菓会社・ユーハイムが2010年に制定。1919年のこの日、広島県で行われたドイツ展示会で、同社を創業したドイツ人カール・ユーハイムが日本で初めてバウムクーヘンの製造販売を行った。
○ さんしん(三線)の日
沖縄県の琉球放送が制定。「さん(3)し(4)ん」の語呂合せ。三線は、蛇味線とも呼ばれる沖縄の楽器で、三味線の元となったとされている。
○ 円の日
1869(明治2)年のこの日、明治政府が貨幣を円形として金銀銅の貨幣を鋳造する円貨の制度を定めた。
○ 雑誌の日
富士山マガジンサービスが2008(平成20)年に制定。「ざっ(3)し(4)」の語呂合せ。あわせて、3月・4月を「雑誌の月」とした。
雑誌愛読月間 7月21日~8月20日
○ 酸蝕歯の日
液体歯磨剤「シュミテクト」を販売するグラクソ・スミスクラインが制定。「さん(3)し(4)ょくし」の語呂合せ。酸蝕歯とは、食物中の酸によりエナメル質が侵食された歯のことである。
▼ 赤黄男忌
俳人・富澤赤黄男の1962(昭和37)年の忌日。
▼ 1902年、愛媛県西宇和郡川之石村(現八幡浜市保内町琴平)に開業医の長男として生まれる。 1920年宇和島中学校卒、1926年早稲田大学政経学部を卒業。在学中、松根東洋城の門人に勧められ松根の主宰誌「渋柿」に投句するも、熱心に打ち込むことはなかった。同4月、国際通運(現在の日本通運)東京本社に入社、1928年国際通運大阪支社に転勤。 同年、同郷の菊池清と結婚、大阪市東成区生野町(現大阪市生野区)に新居を構える。1930年、父が眼疾により医師を廃業して材木会社の経営に携わることになったため帰郷し父を助け、その後国立第二十九銀行(現在の伊予銀行)に勤める。このころより郷土の俳句同好会「美名瀬吟社」に参加し作句を始めた。「蕉左右」の俳号で「ホトトギス」にも投句を続けるが一句も入選しなかったという。
1932年、俳号を「赤黄男」として山本梅史主宰の「泉」に投句、1935年まで60句ほど入選する。1933年、父が先の木材会社経営に失敗したため、家財を整理して移住、銀行も辞去する。翌1934年に妻の母とセメント重紙袋製造合資会社を起こし、単身で大阪に向かい堺市に工場を持つが、室戸台風のために工場が再起不能となる。1935年、日野草城の俳誌『旗艦』創刊。同誌の同人となり新興俳句の作り手として頭角をあらわす。先人として高屋窓秋に傾倒を示し、また「俳句は詩である」と宣言し新興俳句の理論的展開も担った。一方私生活は不安定な状態が続き、1936年2月に妻の実家が経営する酒造会社に入社、12月に退社し、大阪に出て水谷砕壺の世話を受けながら浪人暮らしをする。
1937年、召集され神奈川県の工兵態に入隊、将校として中国各地を転戦。1939年以降の「旗艦」には、軍事郵便で送られてきた赤黄男の前線俳句が毎月のように掲載された。この時期の句に「鶏頭のやうな手をあげ死んでゆけり」がある。1940年マラリアに罹り帰国、この間中尉に昇進するも召集解除。1941年再度召集を受け、1942年 北千島の守備に着く。1944年召集解除。この間、 1941年に代表句「蝶墜ちて大音響の結氷期」をふくむ処女句集『天の狼』刊行し、京大俳句事件によって終息していった新興俳句運動の掉尾を飾る。1945年4月四谷区箪笥町で空襲により罹災。吉祥寺の借家に移る。
終戦後、1946年「太陽系」創刊。また栗林一石路、石橋辰之助、東京三(秋元不死男)、湊楊一郎らとともに新俳句人連盟を結成するが、内部分裂し翌年現代俳句協会設立、会員となる。1948年、詩、短歌、俳句の総合誌「詩歌殿」を水谷砕壺とともに創刊、「太陽系」終刊し後継誌として「火山系」創刊(いずれも1950年まで)。またこの年、砕壺が社長を務める関西タール製品株式会社に入社、東京事務所長となる。1951年 句集『天の狼』改版発行。1952年、高柳重信、本島高弓とともに「薔薇」創刊。 同年末に句集『蛇の声』。収録句に「切株は じいんじいんと ひびくなり」「寒い月 ああ貌がない 貌がない」など。作品は大戦中からのものも含むが、いずれも一字アキを用い、また句の象徴性・抽象性をいっそう深めており、この傾向は第三句集『黙示』(1961年)にいたって極度に突き詰められる。
1958年、高柳が「俳句評論」を創刊し所属、後進の指導にあたる。同年大和化成社長となる。 1961年、句集『黙示』。1962年、肺ガンにより自宅療養中に死去。享年60。
【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】
※今日の俳句※
メロンパン体内すこし朧なり
奥坂まや
さきがけて朧となりぬ観世音
長谷川櫂
寝支度の鏡のうちの夜のおぼろ
井沢正江
※ 朧
春は大気中に水分が多いので、物の象(すがた)が朦朧と霞んだように見える。朧は春の夜の、万物が霞んで見える現象。霞と同様「草朧」「谷朧」「岩朧」「鐘朧」など、いろいろに用いられる。
→朧月・春の月・霞
【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】
※わが友に贈る※
【聖教新聞:2015年(平成27年)3月4日(水)付】
多忙な時こそ
祈りを根本とせよ!
そこに価値創造の
偉大な知恵が生まれ
栄光への道が開かれる。
2015年3月4日
※名字の言※
【聖教新聞:2015年(平成27年)3月4日(水)付】
東日本大震災で大きな津波被害にあった町の、中小企業団体の代表と会った。「起業の町」をつくりたいという。「大企業はありがたいけれど、撤退したらあとが大変。小さい店がたくさん起業する方が有益だ。人口の少ないこの町では、数人規模でも影響力が大きい」と語っていたが、一つの見識だろう
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米国・オハイオ州もウィルミントン市。世界最大の物流起業が、空港を持っていたが2008年に撤退。関連企業も含めると、市の雇用の3分の1が失われた。同じような巨大企業を探そうとの意見もあったが、市は別の道を選んだ
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その目標は「5つのL」。「L」は「ローカル(地域)」の頭文字。五つとは「仕事」「食」「発電」「視野」「人」。地元の歴史や風土、そして何よりも、地元の人を大切にした。地産地消の市場や、職人の手作業にこだわった工場など、地に足を着けた小さな起業をたくさん生み出した
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ウィルミントンは復活した。今、市には、世界から復活の秘密を知りたいと訪れる人が後を絶たない
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これらは広布の活動にも通じる。協議会や座談会、そこに集う地域の同志を最も大切にしたところに、今の学会の世界的発展がある。「あの同志」に会いに行こう! 「この友」と語ろう。きょうも、そして明日も。 (哉)
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