和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

人材城(十三)小説「新・人間革命」

2012年04月24日 14時39分26秒 | 今日の俳句
    小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2012年 (平成24年) 4月24日(火)より転載】
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人材城13(4/24)

 山本伸一は、場内を見渡しながら語った。

 「健康は、基本的には、自分で守り、自分で管理するしかありません。最終的には、自己責任です。自分の体のことを、いちばんよくわかるのは、自分であるともいえます。

 健康を創造することは、自身の人生の価値を創造することにつながります。

 しかし、健康に留意していても、生身の人間ですから、一定の年齢になると、誰でも体のどこかに故障が出てくるものです。そうした場合には、さらに体調管理に努め、よく休養をとりながら、長寿の人生を全うしていただきたい。

 また、“無理をしても、信心しているんだから……”という安易な考えで、非常識な行動をし、生活のリズムを崩し、体を壊すようなことがあっては、絶対になりません」

 最後に、伸一は、「皆さんのご健康、ご長寿を、毎日、妻と共にご祈念申し上げております」と述べ、あいさつを結んだ。

 話のあと、皆のために何曲もピアノを弾いた。ピロティでは、男子部の役員や高齢者、子どもらと、次々に言葉を交わし、記念のカメラに納まっていった。

 全国、全世界、どこへ行っても、伸一の行動は変わらなかった。ただ、ただ、人と会い、人を励ます。力の限り、命の限り、全精魂を注いで励ます。そして、人びとの心に、希望の光を送り、勇気の火をともす――そのために、自分にできることはなんでもした。

 “皆には、少しでも休んでもらおう。その分、私が働こう。常在戦場のわが人生だ!”というのが伸一の覚悟であった。

 学会歌の指揮も執った。何百人と握手も交わした。手はしびれ、指は感触を失った。山と積まれた色紙や書籍に揮毫もした。腕が疲れ、あがらなくなったこともあった。記念撮影も数知れなかった。フラッシュを浴び続けたためか、目もいためた。

 そうせずしては、全国、全世界に広がった一千万人になんなんとする同志と、心を結び合えるわけがない。


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