和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

力走/四十一〈小説「新・人間革命」〉

2016年05月12日 05時31分49秒 | 今日の俳句
【力走/四十一】 法悟空 内田健一郎 画 (5798)

 勤行会で、功徳を受けていくことの大切さを語った山本伸一は、最後に呼びかけた。
 「“水の信心”と“団結の高知”、さらに“功徳の高知”として、見事な楽土を築き上げていかれますよう心よりお祈り申し上げ、本日の指導とさせていただきます」
 “水の信心”と“団結の高知”――これは、一九七二年(昭和四十七年)六月二十日、高知での記念撮影会の折に、彼が示した指針であった。
 高知県人は、「熱しやすく冷めやすい」といわれる。それは、短期決戦においては、長所となるが、一生成仏をめざして信心を貫くうえでは、短所になりかねない。そこで伸一は、一時的に燃え上がり、すぐに消えてしまうような“火の信心”ではなく、生涯、求道の姿勢を持続し、川の水が流れ続けるような“水の信心”を貫くことの大切さを語ったのであった。
 また、高知県の男性は、「いごっそう」との言葉が示すように、気骨があり、革新的で反権力的な傾向が強い。一方、女性は、「はちきん」といわれ、きっぷがよく、勝ち気であるといわれる。つまり、男女共に、容易に自説を曲げない気質があり、それは半面、団結しにくい要素にもなる。
 高知広布を推進していくカギは、「いごっそう」も「はちきん」も、皆が力を合わせ、異体同心の信心に徹していくことにある。ゆえに彼は、“団結の高知”をめざすように訴えたのだ。
 そして、今回、この二つの指針に、“功徳の高知”を加えたのである。
 水の信心を貫き、団結して広宣流布に邁進していくのは、それぞれが功徳の花を咲かせて、幸せを満喫するためである。皆が、共に功徳を受けようとの思いで信心に励んでいる組織には、喜びがあり、ほのぼのとした人間性の温もりがある。また、功徳の体験は、金剛不壊の信心を築き上げる骨格となる。
 これらの指針は、高知県の永遠の三指針として、同志の心に刻まれていくことになる。


【「聖教新聞」2016年(平成28年)5月12日より転載】


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