和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

「世界広布のフロンティア」/名字の言

2012年10月26日 08時10分16秒 | 今日の俳句
     名字の言

【聖教新聞・2012年 (平成24年)10月26日(金)より転載】


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(10/26)
 本紙に連載中の「世界広布のフロンティア」。
パラオSGIを紹介する記事に、読者から多くの声が寄せられた



東京・世田谷区の男性は、戦時中、日本兵としてパラオに滞在した。
米軍との激戦地となった南部のペリリュー島、アンガウル島で日本軍は全滅。
男性は北部の島にいたため死は免れたが空襲を受け、食料不足で部隊の多数が餓死した



そうした中、現地の住民が食料を分けてくれた。
終戦後、帰国する際には伝統の踊りで見送ってくれたことが忘れられないという。
彼は語る。
「戦場だった島に今、幾多のSGIの友が誕生し、活躍している。
本当に不思議です。
これほどうれしいことはありません」



第2次世界大戦では太平洋の島々が戦場となった。
その一つ、北マリアナ諸島のテニアン島には池田SGI会長の言葉が刻まれた“平和の碑”が立つ。
「人類はこの悲劇を二度と繰り返すまい。
いかなる対立や相克も、力ではなく英知と不断の対話によって解決の道を求めるべきである」と。
同島は、広島・長崎に原爆を投下したB29が飛び立った地でもある



今、かつての悲劇の舞台で地涌の友が平和と共生の哲理を広げる。
歴史の証言に触れ、あらためて世界広布の意義と重要性を痛感する。    
         (駿)

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