和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

聖教新聞/名字の言

2012年09月08日 06時52分18秒 | 今日の俳句
     名字の言

【「聖教新聞」平成24年9月8日(土)より転載


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(9/8)
 「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」。
1954年(昭和29年)9月、アメリカの水爆実験による“死の灰”を浴びて亡くなった、久保山愛吉さんの悲痛な叫びである



東京・江東区の第五福竜丸展示館の記念碑に刻まれている。
亡くなる半年前の3月、マーシャル諸島のビキニ環礁で被ばくした漁船「第五福竜丸」の名は、歴史に残った。
久保山さんは無線長だった



だが当時、同じ海で漁などをしていた船は多数あった。
第五住吉丸、第二幸成丸、新生丸、弥彦丸……高知船籍が多かった。
そのほとんどは歴史の闇の中に。
そんな時、若い力が立ち上がった。
高知県の高校生たちが教師と共に、聞き取り調査を重ねたのだ。
その足跡を描いた映画「~放射線を浴びた~X年後」が、今月15日から東京、愛媛で公開される



ビキニ事件から3年後の57年(同32年)9月8日、戸田第2代会長は「原水爆禁止宣言」を発表。
「遺訓の第一」として青年に託した。
青年が行動を通して次の世代に語り伝え、学会は永遠に平和の使命を果たし抜くのだ



この55年間、青年の大情熱の心で、平和の大闘争を貫いてきた池田名誉会長の姿を胸に、私たちも“共戦”の思い新たに、瑞々しい生命力で、対話の道を広げ続けたい。          (杏)


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