和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

共 戦(二)新・人間革命

2011年11月12日 08時22分27秒 | 今日の俳句
    新・人間革命

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    共 戦(二)

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 この一九七七年(昭和五十二年)は、全国各地に、県・区の中心会館となる文化会館などの建設の槌音が響き、また、完成を見ていった年であった。

 それらの建物は、学会が二十一世紀という広宣流布の新時代に飛翔していくための、重要な布石であった。

 山本伸一は、三月下旬から四月下旬にかけて、東京の目黒平和会館、葛飾文化会館、さらに、中部文化会館の開館記念勤行会などに相次ぎ出席していった。そして、全国各地が新法城建設の喜びに沸くなか、彼の会長就任十七周年となる五月三日を迎えたのである。

 伸一は、席の温まる暇もなく、五月十日からは、関西を訪問し、滋賀文化会館の開館記念勤行会や、関西の代表幹部との懇談会等に臨んだ。十四日に東京に戻ると、十七日からは、九州・山口訪問に出発したのである。

 彼は、決意していた。

 “各県各区に新しい会館が完成し、広宣流布の新段階を迎えようとしている今こそ、全同志の心に、万年にわたる信心の堅固な礎を築かなくてはならない。また、人材を見つけ、育てよう! 全国各地に難攻不落の人材城をつくろう!”

 十七日の午後五時前、彼は、福岡市博多区に誕生した九州平和会館に到着した。

 福岡は、日蓮大聖人御在世当時の文永十一年(一二七四年)と弘安四年(一二八一年)に起こった、文永・弘安の役、すなわち蒙古襲来の激戦の舞台である。

 以来、七百年――その福岡から、東洋、そして世界へ、恒久平和の哲理を発信しようとの誓いを託し、この新法城を九州平和会館と名づけたのである。

 伸一が平和会館の前に立つと、会館由来の碑などに白布が掛けられ、除幕式の準備ができていた。それを見ると、彼は言った。

 「さあ、九州の出発だ! すぐに除幕をしよう。すべては時間との戦いだもの、一瞬一瞬を有効に使うんだ。時間を制することができる人が、勝利の人なんだよ」



【「聖教新聞・2011年11月12日(土)」より転載】
http://m.seikyoonline.jp/top/top?t=805&sk=377037b65d04f4e970507bffe8ed9125


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