和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

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2014年03月16日 06時47分26秒 | 今日の俳句


     ☆辛夷/今日の俳句☆


彡------☆★☆*≪No.1522≫------☆★☆*☆------☆☆彡
2014年(平成26年)3月16日(日)


○ 国立公園指定記念日
 1934(昭和9)年のこの日、内務省が、瀬戸内海・雲仙(現在の雲仙天草)・霧島(現在の霧島屋久)の3か所を国立公園に指定し、日本初の国立公園が誕生した。
国立公園はわが国の風景を代表する自然の景勝地で、環境大臣が指定した公園である。現在、29の国立公園が指定されている。

○ 財務の日
 財務コンサルティング会社の株式会社財務戦略が制定。
「ざ(3)い(1)む(6)」の語呂合せと、所得税確定申告の期限の翌日であることから。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  
  烈風の辛夷の白を旗じるし
       殿村莵絲子



  朝のはじめ辛夷の空をみていたり
       酒井弘司



  山こぶしまだ無垢の白あまご焼く
       花谷和子




■ 【季語・解説】
※ 辛夷→木筆(こぶし)・山木蘭・幣辛夷。
 モクレン科の落葉高木で日本全土に自生する。高さ10メートルになり、春に芳香のある白い六弁花をつける。
観賞用に栽培される他、建築材などに使われる。名は蕾が赤子の拳の形に似ていることからの見立てといわれる。

【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】


※ 【烈風の辛夷の白を旗じるし  殿村莵絲子】

少しみどりがかったつめたい白が、葉よりも先に吹き出す辛夷。〈立ち並ぶ辛夷の莟行く如し〉(高濱虚子)とあるが、なぜか皆同じ方向に傾いて見えるその莟は、目的地を差しているかのようであり、日差しを集める花は空の青に映える。
この時の作者には、きっと自らの運命に立ち向かっていく強い決意があったのだろう。背景を知らなくても、辛夷の眩しさに負けない作者の瞳の輝きが見えてくる。昨日、照明を落とした駅の改札を抜け、24時間営業を止めた店の前を通り、暮れかけた空に白く浮き立つ辛夷の花を仰ぎ帰宅。
部屋が薄暗いことにもだんだん慣れ、今までが明るすぎたなあ、と辛夷に残る日の色を思い浮かべた。『樹下』(1976)所収。
(今井肖子)


※ 【朝のはじめ辛夷の空をみていたり  酒井弘司】

何であれ存在するものを書けばそれは「みていたり」ということなのだ。辛夷の空とだけいえば辛夷の空をみているということなのだ。しかし、敢えて「みていたり」といわねばならないことがある。どうしてもそういいたいときがある。
この句には「長女、志乃誕生」という前書がある。どこにいて何をみていようと、そのときその瞬間を永遠の中にとどめておきたいと願うことがある。それが「みていたり」といわせる。それは辛夷の空でも土管でも野良猫でも剥がれかけた看板でもなんでもかまわない。
みている作者がその瞬間にちゃんとこの世に存在しましたよという証なのだ。『現代俳句文庫・酒井弘司句集』(1997)所収。
(今井 聖)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月16日(日)より転載】

 ■※わが友に贈る※■


 未来を決めるのは
 今の決意と行動だ。
 「世界広布は私がやる」
 誓願の炎を燃やし
 心新たに出発しよう!

     3月16日



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   ■※名字の言※■


(3/16)
風評被害と戦いながら、今年も米作りに挑む、福島の壮年部員と語り合った。今は、稲となる種をそろえたところだという。これから発芽させ、苗に育て、野山が春を告げたころ、田植えが始まる



冷夏、長雨、台風……自然相手の稲作に試練は多い。「だから、収穫の秋を迎え、黄金の波打つ自慢の田んぼを、常に心に思い浮かべて頑張んのさ」。優しく指でつまんだ一粒の種を見詰めて、彼は言った



未来を信じ抜く中に、「今」を生きる力が宿る。それが人間だと思う出来事が、先日もあった。新・東北文化会館の起工式。鍬入れ式の後、参加者全員で記念の鍬入れをすることに。最初に鍬を渡されたのは、地元の子どもたちだった。「ここに完成する新法城で信心を磨き、未来を開く主役たちです」との紹介に拍手が起きた



その中に4人きょうだいがいた。上の3人は、震災時に東北文化会館で避難生活を経験。1歳の末っ子は震災後に生まれた。大人の手を借り、元気に鍬を振るうのに合わせて、「エイ!」「エイ!」と唱和する声がこだました



参加者の心には描かれたはずだ。新会館の姿、凜々しい青年に成長した子らの姿が。「新生・東北」の未来へ、希望を抱きしめて、震災3年の春を歩んでいこう。(城)



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