和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

共 戦(七)新・人間革命

2011年11月19日 06時55分29秒 | 今日の俳句
    新・人間革命

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    共 戦(七)

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 五月度本部幹部会を終えた翌十九日午後、山本伸一は、福岡の博多駅から、新幹線で山口の小郡駅(現在の新山口駅)に向かった。

 彼の山口県訪問は、一九六七年(昭和四十二年)三月に萩市、八月に下松市、防府市を訪れて以来、十年ぶりである。

 今回の訪問では、五月十日に落成した山口文化会館での勤行会などに出席する予定であった。

 伸一が、山口県入りした十九日は、三年前に開催された第一回県総会を記念して、「山口の日」と制定されていた。その時の県総会には、伸一は出席できず、メッセージを贈ったが、今回の訪問で、「県の日」の意義を、さらに深めることができればと考えていた。

 また、この七七年(同五十二年)は、山口開拓指導から二十年の佳節を迎えていた。

 山口開拓指導は、五六年(同三十一年)十月、十一月、翌五七年(同三十二年)一月にわたって、伸一の指揮のもとに実施された、広布史上に輝く大闘争である。

 全国各地から山口県に縁故のある同志が集い、果敢に弘教を展開していったのだ。当初は、四百数十世帯しかなかった山口県の会員世帯が、この三回の開拓指導で四千世帯を超え、約十倍の大発展を遂げたのである。

 以来二十年、開拓魂を打ち込まれた同志が核となって、山口県は大前進を遂げたのだ。

 自身の一切を注ぎ込む思いで、必死になって戦い抜いた体験をもつ人は強い。あの開拓指導に参加した同志は、懸命な祈りと執念の行動の力を実感し、広宣流布の新しい道を開く使命感、責任感を培い、信仰への絶対の確信を築き上げてきたのである。

 山口県に向かう車中、伸一は思った。

 “今回の山口県滞在は、三泊四日である。短期間ではあるが、山口県の同志が、二十一世紀への飛躍の力を培う、第二の山口開拓指導としなければならない。一人ひとりの胸中に、いかなる困難にも負けぬ、信仰の闘魂を、赤々と燃え上がらせるのだ!”

 彼は、ぎゅっと拳を握りしめた。


【「聖教新聞・2011年11月19日(土)」より転載】
http://m.seikyoonline.jp/top/top?t=805&sk=377037b65d04f4e970507bffe8ed9125


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