◇菊膾(きくなます)/今日の俳句◇
◇※第1383号※◇
2013年(平成25年)10月18日(金)
☆彡------☆★☆*------☆
■ 10月18日。
○ 統計の日
1973(昭和48)年7月3日の閣議で決定。
1879(明治12)年9月24日(新暦10月18日)、府県物産表に関する太政官布告が公布された
。
国民に統計の重要性を知ってもらうための記念日。
○ 冷凍食品の日
日本冷凍食品協会が1986(昭和61)年に制定。
10月は冷凍の「とう(10)」から。18日は、国際的に、-18℃以下に保てば冷凍食品の品質を1年間維持できるとされていることから。
「食慾の秋」でもあることから、冷凍食品の販売促進のためのPRが行われる。
○ 世界メノポーズデー
1999(平成11)年の第9回国際閉経学会で採択。
「メノポーズ」とは「閉経」「更年期」のことで、更年期前後の女性がどう生きるかを考える日。
※ 世界メノポーズデーについて(日本更年期医学会)
日本更年期医学会(にほんこうねんきいがくかい、英名:The Japan Menopause Society)は、更年期・老年期の生理、病理及び実地臨床に関する研究の進歩・発展を図ることを目的とした学会。1986年に産婦人科更年期研究会として発足、1992年に現名称に改称。
平成23年4月1日より学会名称を「日本女性医学学会(英文名:The Japan Society for Menopause and Women's Health)」に改めた。
○ 木造住宅の日
日本木造住宅産業協会が1998(平成10)年に制定。
「住(10)」の語呂合せと、「木」を分解すると「十」と「八」になることから。
○ フラフープ記念日
1958(昭和33)年のこの日、フラフープが日本で初めて発売された。
1本270円で、一箇月で約80万本という爆発的な売上げを記録する大ブームになったが、「腸捻転になる」等の噂がたち、急速に売行きが落ちた。
○ ミニスカートの日
1967(昭和42)年のこの日、イギリスから「ミニの女王」ツィギーが来日し、ミニスカートブームが起った。
【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】
☆彡------☆★☆*------☆
■※今日の俳句※■
聞き置くと云ふ言葉あり菊膾
中村汀女
東京をふるさととして菊膾
鈴木真砂女
烟(けぶ)るごと老い給ふ母菊膾
中村みづえ
【季語の解説】
※ 菊膾(きくなます)。
食用菊を膾として食べるもの。食用菊はふつう、黄色い「阿房宮」とピンクの「かしろ(化白)」が知られる。
化白は山形県では「もってのほか」と呼んでいる。よく洗った菊の花を、塩を加えた熱湯に入れ、さっっと茹で上げる。
冷やしてよく絞り、酢または三杯酢を加えてつくる。菊の匂いと歯ざわりを楽しむ。料理の一部として一つまみほど出されることがある。
【「現代俳句歳時記(秋)角川春樹編・角川春樹事務所」より転載】
☆彡------☆★☆*------☆
※わが友に贈る/寸鉄※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)10月18日(金)より転載】
※わが友に贈る※
時代の変化に
敏感に反応せよ!
「相変わらず」は敗北。
真剣な祈りと思索で
常に先手を打て!
◇※10月18日※◇
☆彡------☆★☆*------☆
◇※名字の言※◇
アンパンマンの作者、やなせたかしさんは詩人でもあり、多くの歌を作った。アニメの主題歌「アンパンマンのマーチ」も自ら作詞。
25年前の放送開始以来、子どもからお年寄りまで幅広く愛されてきた
▼
実はテレビで流れているのは2番の歌詞で、1番はあまり知られてこなかった。その“幻の1番”が、東日本大震災の後、広く歌われるようになる
▼
ある日、被災地でラジオから流れたフルコーラスの“アンパンマンの歌”。
1番は「そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ 胸の傷がいたんでも」と始まり、「なんのために 生まれて なにをして 生きるのか」と続く(JASRAC出1313066―301)
▼
やなせさんが“世界最弱のヒーロー”と呼んだアンパンマンの強さとは「傷つくことを恐れない強さ」。何度も立ち上がる姿を歌った歌詞が被災者を勇気づけた
▼
やなせさん自身もアンパンマンのポスターを作り、被災地へ。その思いを今年、本紙「スタートライン」(5月18日付)で語った。
「やっぱり、生きている限り、何かをしなくちゃいけない。自分のできることで、少しでも皆に喜んでもらえればいい」。
これからも、作品は人々を励まし続けるだろう。命は尽きても、心は尽きない。
(潔)
☆彡------☆★☆*------☆
◆浩ko・ 編集後記◆
今日も有難う御座います。 和井弘希です。
≪東京をふるさととして菊膾 鈴木真砂女≫は、銀座1丁目に「卯波」という小料理屋の女将として長年、文筆仲間から愛され続けた女流俳人です。
その生涯は、壮絶で老舗旅館・吉田屋旅館の三女として生まれ、靴問屋の次男と恋愛結婚するも夫が賭博癖の末に蒸発してしまい、実家に戻り、姉の死去により家を守るため、義兄と再婚しています。
ここまでなら昔はよくある話ですが、30歳の時に、年下で妻帯者の海軍士官と不倫の末、彼を追って出奔します。
その後家に帰りますが、当然ながら夫婦関係は上手くいかず、50歳のとき離婚、銀座1丁目に「卯波」という小料理屋を開店します。保証人は作家の丹羽文雄ではないかと言われています。
俳句は久保田万太郎・安住敦に師事し、俳誌「春燈」の幹部同人として、多くの人々に彼女は「女将俳人」として愛され続けています。また「卯波」は、作家のたまり場として彼女の死去まで賑わいました。
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◇菊膾(きくなます)/今日の俳句◇
◇※第1383号※◇
2013年(平成25年)10月18日(金)
☆彡------☆★☆*------☆
■ 10月18日。
○ 統計の日
1973(昭和48)年7月3日の閣議で決定。
1879(明治12)年9月24日(新暦10月18日)、府県物産表に関する太政官布告が公布された
。
国民に統計の重要性を知ってもらうための記念日。
○ 冷凍食品の日
日本冷凍食品協会が1986(昭和61)年に制定。
10月は冷凍の「とう(10)」から。18日は、国際的に、-18℃以下に保てば冷凍食品の品質を1年間維持できるとされていることから。
「食慾の秋」でもあることから、冷凍食品の販売促進のためのPRが行われる。
○ 世界メノポーズデー
1999(平成11)年の第9回国際閉経学会で採択。
「メノポーズ」とは「閉経」「更年期」のことで、更年期前後の女性がどう生きるかを考える日。
※ 世界メノポーズデーについて(日本更年期医学会)
日本更年期医学会(にほんこうねんきいがくかい、英名:The Japan Menopause Society)は、更年期・老年期の生理、病理及び実地臨床に関する研究の進歩・発展を
図ることを目的とした学会。1986年に産婦人科更年期研究会として発足、1992年に現名称に改称。
平成23年4月1日より学会名称を「日本女性医学学会(英文名:The Japan Society for Menopause and Women's Health)」に改めた。
○ 木造住宅の日
日本木造住宅産業協会が1998(平成10)年に制定。
「住(10)」の語呂合せと、「木」を分解すると「十」と「八」になることから。
○ フラフープ記念日
1958(昭和33)年のこの日、フラフープが日本で初めて発売された。
1本270円で、一箇月で約80万本という爆発的な売上げを記録する大ブームになったが、「腸捻転になる」等の噂がたち、急速に売行きが落ちた。
○ ミニスカートの日
1967(昭和42)年のこの日、イギリスから「ミニの女王」ツィギーが来日し、ミニスカートブームが起った。
【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】
☆彡------☆★☆*------☆
■※今日の俳句※■
聞き置くと云ふ言葉あり菊膾
中村汀女
東京をふるさととして菊膾
鈴木真砂女
烟(けぶ)るごと老い給ふ母菊膾
中村みづえ
【季語の解説】
※ 菊膾(きくなます)。
食用菊を膾として食べるもの。食用菊はふつう、黄色い「阿房宮」とピンクの「かしろ(化白)」が知られる。
化白は山形県では「もってのほか」と呼んでいる。よく洗った菊の花を、塩を加えた熱湯に入れ、さっっと茹で上げる。
冷やしてよく絞り、酢または三杯酢を加えてつくる。菊の匂いと歯ざわりを楽しむ。料理の一部として一つまみほど出されることがある。
【「現代俳句歳時記(秋)角川春樹編・角川春樹事務所」より転載】
☆彡------☆★☆*------☆
※わが友に贈る/寸鉄※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)10月18日(金)より転載】
※わが友に贈る※
時代の変化に
敏感に反応せよ!
「相変わらず」は敗北。
真剣な祈りと思索で
常に先手を打て!
◇※10月18日※◇
☆彡------☆★☆*------☆
◇※名字の言※◇
アンパンマンの作者、やなせたかしさんは詩人でもあり、多くの歌を作った。アニメの主題歌「アンパンマンのマーチ」も自ら作詞。
25年前の放送開始以来、子どもからお年寄りまで幅広く愛されてきた
▼
実はテレビで流れているのは2番の歌詞で、1番はあまり知られてこなかった。その“幻の1番”が、東日本大震災の後、広く歌われるようになる
▼
ある日、被災地でラジオから流れたフルコーラスの“アンパンマンの歌”。
1番は「そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ 胸の傷がいたんでも」と始まり、「なんのために 生まれて なにをして 生きるのか」と続く(JASRAC出1313066―301)
▼
やなせさんが“世界最弱のヒーロー”と呼んだアンパンマンの強さとは「傷つくことを恐れない強さ」。何度も立ち上がる姿を歌った歌詞が被災者を勇気づけた
▼
やなせさん自身もアンパンマンのポスターを作り、被災地へ。その思いを今年、本紙「スタートライン」(5月18日付)で語った。
「やっぱり、生きている限り、何かをしなくちゃいけない。自分のできることで、少しでも皆に喜んでもらえればいい」。
これからも、作品は人々を励まし続けるだろう。命は尽きても、心は尽きない。
(潔)
☆彡------☆★☆*------☆
◆浩ko・ 編集後記◆
今日も有難う御座います。 和井弘希です。
≪東京をふるさととして菊膾 鈴木真砂女≫は、銀座1丁目に「卯波」という小料理屋の女将として長年、文筆仲間から愛され続けた女流俳人です。
その生涯は、壮絶で老舗旅館・吉田屋旅館の三女として生まれ、靴問屋の次男と恋愛結婚するも夫が賭博癖の末に蒸発してしまい、実家に戻り、姉の死去により家を守るため、義兄と再婚しています。
ここまでなら昔はよくある話ですが、30歳の時に、年下で妻帯者の海軍士官と不倫の末、彼を追って出奔します。その後家に帰りますが、当然ながら夫婦関係は上手くいかず、50歳のとき離婚、銀座1丁目に「卯波」という小料理屋を開店します。保証人は作家の丹羽文雄ではないかと言われています。
俳句は久保田万太郎・安住敦に師事し、俳誌「春燈」の幹部同人として、多くの人々に彼女は「女将俳人」として愛され続けています。また「卯波」は、作家のたまり場として彼女の死去まで賑わいました。
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