和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

夏燕/今日の俳句 ≪第2185号≫

2016年07月02日 05時51分32秒 | 今日の俳句
≪2016年(平成28年)7月2日(土)≫(旧暦5/28)


 むらさきのこゑを山辺に夏燕     飯田蛇笏

 浅い旅寝やまつさかさまに夏燕    廣嶋美惠子

 夏つばめ地より昏れゆく北野坂    橋場千舟

 夏燕すでに水面の夜明けゐて    岡部名保子

 青空を海に浸して夏つばめ     市川英一


※ 夏燕
 燕は春に渡来し、四〜七月に通常二回産卵する。産卵後一ヶ月余りで巣立ちをし、成鳥ともども各地で軽快に飛翔する姿が見られる。青田をかすめて飛ぶ姿など爽快である。
→燕(春)

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】



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       ※☆*わが友に贈る*☆※



 壁を破り進む友に

 最大の称賛を!

 喜びを分かち合えば

 それが新たな力となる。

 心を一つに前へ!

        2016年7月2日





      ※☆*寸 鉄*☆※


 「いい切り給へ」「申し切り給へ」。声を惜しむな!迸る情熱で断固勝ち進め
      ◇
 関西が一糸乱れぬ団結で猛追!ここからが勝負。常勝の底力を天下に示せ
      ◇
 愛知婦人部・女子部が颯爽と拡大!貴女の勝利が皆の勝利。幸の連帯強く
      ◇
 ブラインド紐による幼児窒息事故に注意を―消費者庁。わが家から再点検
      ◇
 65歳以上の人口、初めて4分の1超に。幸齢社会実現へ公明が先頭に立て



【聖教新聞:2016年(平成28年)7月2日(土)付】





      ※☆*名字の言*※


米国のガルブレイス博士の真骨頂は、現実の調査から新しい「事実」を「発見」する「ファクト・ファインディング」だった――そう経済学者の伊東光晴氏は言う(『ガルブレイス』岩波新書)

戦後の日本で、ドラマの主人公をまね、白いストールを頭から巻く「真知子巻」が流行した。だが実際に、東京の銀座4丁目を歩く女性を調べると、「真知子巻」をしていたのは、わずか5%だった。このように「5%でも時代をリードし、時代を象徴する」のが、現代資本主義の特質の一つであることを博士は示した(同著)

「本当に未来の社会の動向を決定するのは、わずか5%の、活動的で献身的な人々の力です。その5%の人々が、やがて文化の総体を変革していくのです」。そう語ったのは平和学者のエリース・ボールディング博士だった。2人の博士はともに池田SGI会長と親交を結び、創価の運動に期待を寄せていた

EU離脱を決めた英国の国民投票のように、僅差でも多数を取った側の方策が採用されるのが、民主主義のルール。だが、時代を画する潮流が、最初は小さな運動から始まることも、歴史の事実である

「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じ」(御書1463ページ)の御聖訓を心に刻みたい。(誼)



【聖教新聞:2016年(平成28年)7月2日(土)付】



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【コラム「北斗七星」】

公明新聞:2016年7月1日(金)付

18歳選挙権が導入された参院選で初投票を行うわが家の新有権者と、公明党をお願いするときの語り口について話をしていて、教えられることがあった。奨学金拡充などの実績とともに、これは訴えやすいと一番に挙げたのが「被災者に寄り添う」姿勢だった

中でも東日本大震災のエピソードとして語られる「追いだき」を紹介すると、わが家の新有権者はいたく感動。追いだきとは、公明党が仮設住宅への住民アンケートをもとに、風呂の追いだき機能をつけさせたこと。冬の寒さの厳しい東北では、お湯がすぐ冷めるが、追いだきができなかった

とは言え、簡単に実現したわけではない。当時は「遅い、鈍い、心がない」と言われた民主党政権。閣僚は「お金が掛かる」「対応が困難」との答弁に終始。「これは、あまりにもひどいじゃないのか!」と早期実現を迫り、政府がようやく重い腰を上げた

何度も公明新聞で紹介された話だが、新有権者には初耳だ。曰く「政党、政治家がそこまで親身に動くことを知っている若い人は少ないのでは」「でもなぜ最初から追いだきをつけなかったのか。それもびっくりだ」

阪神・淡路大震災や熊本地震でも公明党の寄り添う姿勢は高い評価を受けた。いざという時に真っ先に駆け付ける党の姿は、世代を超えて心に響くに違いない。(辰)

清新/十六〈小説「新・人間革命」〉

2016年07月02日 05時31分56秒 | 今日の俳句
清新/十六 法悟空 内田健一郎 画 (5841)


 元藤裕司は、釜石の、そして、三陸の広宣流布を心に描いた。そのために“自分に何ができるか”を考え、身近なことから第一歩を踏み出そうと思った。
 “地域の同志のために、「聖教新聞」の配達をやらせてもらおう!”
 彼は、意欲的に、仕事、学会活動に取り組んだ。やがて結婚した。勤務していた建築会社の倒産、自身や義父母の入院・手術などが続いたが、常に唱題を根本に、一つ一つ乗り越えていった。空気圧機器の大手企業への就職も勝ち取った。地域貢献になればと、消防団の活動にも参加した。
 元藤は、よく妻の福代と語り合った。
 「私たちは、学会員として、地域の人たちの幸せのために生きよう!」
 福代も、山本伸一が出席した水沢文化会館での行事に参加し、激励を受けていた。
 裕司は、岩手が生んだ詩人・童話作家の宮澤賢治が好きであった。その作品のなかでも、「雨ニモマケズ」の詩に心が引かれた。
 「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ……」(注)
 雨にも、風にも、雪にも、夏の暑さにも負けない体と強い志をもって、淡々と質素に生き、苦悩する人びとと同苦し、寄り添い、献身する心に共感を覚えるのである。
 自分もそんな生き方をしようと心に決め、ひたすら三陸の広宣流布に走ってきた。支部長も務めた。「“地域の柱”に」との伸一の言葉が耳から離れなかった。また、「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(御書一四六七ページ)との御文を心に刻み、猛然と走り抜いてきた。
 ――二〇一一年(平成二十三年)三月十一日、あの東日本大震災が起こった。三陸は大地震、大津波に襲われた。元藤の住む釜石でも、多くの地域が街ごと流された。マンションの四階まで津波にのまれた。
 この苦難の大波に、彼は、身悶えながらも挑み続けた。信心ある限り、光はある。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 『宮澤賢治全集第十二巻』筑摩書房=現代表記に改めた。



【「聖教新聞」2016年(平成28年)7月2日より転載】


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