あるがままに生きる日々とは!

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もう一人の姪との再会(^_^.)

2011-08-29 11:23:38 | 想い

今回の関西に帰省の折に弟の娘、姪がイギリスから帰国しているので

叔母の私に逢いたいとの事で大阪の難波で待ち合わせた

昨年7月にイギリス人とロンドンで国際恋愛を成就させて結婚式を挙げて日本では

親族、友人、知人を招いて真夏の京都でお披露目をして早一年になる。

以前にも書いたが大学を休学してイギリスに留学、その後一度日本に帰国し京都で大学を卒業して

再びイギリスの大学院に留学した。(向学心は旺盛)

日本人でありながら何故か上手く日本社会に溶け込めずに家族、友達などなど何事においても

価値観や物事の判断、考えの方の相違、常識、相手を認め理解することが苦手で出来ない性格に

海外の方が姪にとっては生活しやすく自分を評価される尺度が心地よいのか

男性はレディーファーストが当たり前で優しく愛情表現が豊かであるし~~

考え方、習慣があっているのか海外に自分の居住を求めた。

その留学先で彼と出会い憧れの国際結婚した。

 

 

 

高校も一年生で自主退学して大検を受け大学に入学した経緯を持つ変わり種の姪である。

今は亡き母親は何事に於いても娘の性格を理解出来ない日々に葛藤が有り苦悩していたことを私は知っている。

娘の事で夫婦関係までも絆までもが崩壊状態に・・・・

弟家族は姪と兄の4人で自己主張の激しい姪と向き合う日々は想像を絶する家庭だった

 父親との狭間でそんな娘を支えてきた母親が交通事故が元で

闘病生活の末46歳の若さで突然この世を去った

姪は手足をもぎ取られた様な哀しみで生きるすべを失った様だった

 

 

大学教授でもある父親とは意見が合わずに何時も喧嘩、衝突、家庭内暴力に近いこともあった。

私の事は信じていたはずが何時とはなく不信感を抱き煩わしい存在に~~

私とも音信不通の時代が数年あった。

その後母親が亡くなって頼る人がいなく自分を受け入れてくれる人なく叔母の私に連絡をしてきた。

姪の勝手な態度には私も憤りさえ覚えていた時期だった。なぜ私まで敵に回すのか????

 

父親との距離も母亡き後はお互いに少しずつでも歩み寄るがなかなか難しい状況だった。

神奈川の我が家にも何度か相談に来た。そのたびに何時も難題を抱えての訪問だった。

感情の起伏が激しく自己中心的だけに親戚からも受け入れられないことも多々あった。

でも叔母として姪を見放すことは出来なかった。

京都の大学を休学して留学を望む姪に賛成したのも弟も生活を一変したかったんでしょう。

書けば色々と今の夫である彼と巡り合うまでの数年は波乱万丈な人生でした。

 

大阪の難波の高島屋の前で夕方待ち合わせ

一年振りに逢う姪は叔母の私を見つけて満面の笑顔で駆け寄ってきた

一見して日本人離れした姪に一瞬戸惑った私。

外見服装などもそれぞれの国で独特の好みがあるのか胸元から肩まで全部露出した

可愛いワンピースを着て肩には大きな紙袋を掛け手には私の知らないブランドの

高級なバックを~~

文化の違いをひしひしと感じる私。  

人目が気になったが高級なブランドのお洋服でそれなりの

品の良さは商品から感じ取ることは出来た。

颯爽と心斎橋を歩く姪に少し圧倒される。あ~ぁ、横にいる私とは不似合でしょうが~~

幸せそうな姪を見ながら愛は国境を越えて異文化に触れつつ自分の世界が広がり彼の国を愛し

理解することで自分の居心地の良い居場所を見極めている感じの姪。

私は自分の国も忘れる事無く愛し日本人であることに誇りを持ち文化を越えて

愛を育んで欲しいと願った。

 

その姪も26日に関西空港から彼の待つロンドンに帰国した。

前夜には電話が有り「叔母ちゃん有難う」と元気な声を残して去った。

私の今年の夏のイベントもこれで終わりを告げた。