千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

濃~~い週末・・絆2日目午後から夕方

筥崎宮は日本の三大八幡宮の一つであります。
御祭神は「応神天皇」「神功皇后」「玉依姫命」であります。

博多のすぐそば宇美町にお生まれになられた応神天皇の
へその緒ば「筥」に入れてこの浜に祀ったとが始まりで「筥崎宮」の名の由来です。
そこに生えたご神木が「筥松」です。
昔はこの地は海岸べたやったそうですから。
尊いお方のものやけん「筥」の字はつかわんで
町の名前には「箱」の字ば用いて「箱崎」としたげなデス。

鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、
厄除・勝運の神としても有名です。
良う神風で日本国が救われたていいますばってんが違いますとよ。
ちゃんと地元九州の豪族の武士たちの力によって防いだとです。
元軍の大将が傷つき海に退却したときたまさか大風の吹いて
元軍が沈没したとです。
そいけん後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉やら
歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。

楼門は小早川隆景による寄進です。
秀吉の博多町割りの時もここ筥崎宮に滞在しとります。
境内には千利休が寄進した「石灯籠」もございます。



勝運の神様やけん例年この絵馬も奉納されます。


ホークスまさにこの夜、日本一になりました。今年は見事にあやかりましたね。


田村権禰宜(田村宮司の息子さん)が境内ば案内してくれます。



近年は東公園に建つ「亀山上皇像」の原型の木像も
展示されております。



田村宮司は周ちゃんの小唄仲間、息子さんは土居流西法寺前町の山笠メンバーで
芦別の山笠にも西法寺前町で緑幸流に参加しとります。
そいけん筥崎さんでは特別待遇、普段みられん本殿の中やらも前回に引き続き田村権禰宜に案内していただきました。
普通の人は、筥崎宮にまつわる詳しい歴史やら聞く機会のなかし
本殿の中も滅多に入ることのでけませんもんね。

社務所にも案内され田村宮司ともお会いでけました。



この後、これも普段は入られん宝物殿に前回同様案内していただきました。




これは先代の楼門額です。現在は色鮮やかな額ですばってんがこれは年代物。

お土産に「敵国降伏」のストラップも頂き感謝です。
「敵国降伏」は力で相手をねじ伏せるて言う意味やのうて
「徳をもって諭せば相手自らが降伏する」て言う意味げなです。



さて筥崎宮参拝のあとは一路博多さぃ戻ります。
今回のお二人の目的の一つが法世さんに会うことですけん。
法世さんも芦別ば訪問されたくちですから。

「長谷川法世 締切り(より)命展」のありよる
ふるさと館前で車ば降りて、ここでパンダさんなお役御免。
やんごとなきご予定にお出かけです。







受付で尋ねるも「まだお見えでないです」
たまたま知り合いば案内されよった法世さんの奥さんにお会いしました。
「北海道の方でしょう?電話かけてみます」

「10分くらいで来ると言ってます」

たまたま近くにおられた西法寺前町の下沢さんが

「あいつのことやけん10分て言うても15分20分は来めえや・・」

気温も冷え込んできた中、時間つぶしに「伝統工芸館」へ・・



四半刻時間つぶして受付に聞いたら
「来られてます」

周ちゃん
「そうですか、会う予定になってますから・・」

平気で入館料払わんで入っていきましたもんね。






法世さん自ら作品の案内ばってんが、法世さん話し出したら長かっちゃん

おいしゃんたちはそれ知っとるけんつかず離れずばってんが
お二人は熱心に聞かななりません。

時間のかかりよるけん広報さんが小声で
「この後の時間大丈夫ですか?」

「い~や大丈夫やない、だいぶ押しとります」


博多っ子純情の六平の部屋ば再現した部屋見て


中庭で記念撮影しました。

時間も押して、今回は食べてもらおうか?て思いよった「うろん」は
食べる時間の無うなってしまいました。
この時間に食べよったら夜が入らんごとなります。

ライトアップの時間までホテルに帰って一休みしていただきました。

夜の部はパンダさんと交代で桃尻さんが加わります。

夜の部に続く・・・・・

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