カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

野中広務*辛淑玉 『差別と日本人』 角川ONEテーマ21

2014-06-21 19:47:44 | 本日の抜粋

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 さらに、私が「朝まで生テレビ!」とかマスメディアに頻繁に出るようになると、すごいことになったんですね。うちの会社に嫌がらせが殺到する、(中略)家族の住所も、どこで調べてくるのか、いろんな嫌がらせが来るわけですね。そうするともう家族は怯えてしまって‥‥‥。それで私は親と離れて暮らすようになった。
 それから何年ぐらい経ってかな、母親が私に「日本名で暮らしていいか」って聞きに来たんですよ。私は「うん、いいよ」って言った。もういくら頑張ってもダメだったから。そしたら姉から電話がかかってきて、「あんたが自分の正義感を貫こうとするために、家族がどんな思いをして生きているかわかっているのか」って言われた。(中略)
 私は、親がもっと楽に生きられるように、朝鮮人でもこの社会で生きていきたいと思えるように、そして自分自身も。私は朝鮮人だけだ、日本で生まれて幸せだったって言って死んでいきたいと思って頑張ってきたつもりだったけど、でも、なんか負けちゃったなって思ったんです。 
 
野中 わかるなあ。僕も同じだから。

 それで私、ほんとに頑張ったんですよ。

野中 そりゃそうだ。

 野中広務*辛淑玉 『差別と日本人』より

    *********

人を支配しようとする時、一番有効な手立ては、家族・親族への圧力だ。
かつて、そして現在も世界中のあらゆる権力が利用している方法だ。

現在の自称民主主義の下の日本では、異議を唱える本人には手出しをしない。
もっと、卑劣な方法を取る。
世間の反応に右往左往され、ある場合は自殺にまで追い込まれる関係者へ、無言の圧力を加える。
あいも変わぬ村落共同体維持装置だ。

実は徳さん、ある意味、このような村落共同体の復権を願っている。
相互扶助だ。

しかし、それにはただし書きがあって、それは相互扶助の理念に基づいているかどうか?だけが問われるようになっていなければならない。
共同体が異物、異者を排除する装置になっているとすれば、人としての敗北である。

信じたくないが、差別は水面下で日々様相を変化させて進化している。

人間は差別なしにやっていけぬ生物としての奇形児なのだろうか、、、。



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