
今日は、小学校の遠足以来、初めて玉島へ行った。
その時は良寛さんが修行した寺である円通寺見学だった。
今回は、玉島に住んでいる叔父を訪ねる旅だった。
叔父は20年に渡り岡山良寛会に参加、円通寺にある資料を詳しく調べ、
共同で今年、『良寛修行と円通寺』という本をを出版した。
その話を聞いた。
もとより、私に江戸時代の良寛や禅宗の知識などない。
『良寛修行と円通寺』をいただいたが、今の私がこの本に注力することはかなわない。
それでも、円通寺や玉島の岡山史における重要性は理解しているつもりだ。
江戸時代にこの港町は備中高梁藩の港だった。
備中高梁は、岡山の内陸にあり海から遠く離れている。
藩の経営から考えて、瀬戸内の海運とのつながりは重要だった。
どのような経緯か調べていないが、備中藩は玉島を飛地とした。
江戸時代、この港町は大いに繁栄した。
その名残は今も町のあちこちに見られる。
幕末動乱期にこの玉島では有名な事件が起こる。
それは後日に書きたいと思います。
写真は、町なかにある水門。
玉島は新田開発で海中から出現した土地に出来た町だ。
いたるところに水門が残るのはそのため。
この水門は映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のロケ地にもなった。
その時は良寛さんが修行した寺である円通寺見学だった。
今回は、玉島に住んでいる叔父を訪ねる旅だった。
叔父は20年に渡り岡山良寛会に参加、円通寺にある資料を詳しく調べ、
共同で今年、『良寛修行と円通寺』という本をを出版した。
その話を聞いた。
もとより、私に江戸時代の良寛や禅宗の知識などない。
『良寛修行と円通寺』をいただいたが、今の私がこの本に注力することはかなわない。
それでも、円通寺や玉島の岡山史における重要性は理解しているつもりだ。
江戸時代にこの港町は備中高梁藩の港だった。
備中高梁は、岡山の内陸にあり海から遠く離れている。
藩の経営から考えて、瀬戸内の海運とのつながりは重要だった。
どのような経緯か調べていないが、備中藩は玉島を飛地とした。
江戸時代、この港町は大いに繁栄した。
その名残は今も町のあちこちに見られる。
幕末動乱期にこの玉島では有名な事件が起こる。
それは後日に書きたいと思います。
写真は、町なかにある水門。
玉島は新田開発で海中から出現した土地に出来た町だ。
いたるところに水門が残るのはそのため。
この水門は映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のロケ地にもなった。
穏やかな街,という印象です。
まさに「晴れの国岡山」を象徴する光景のように思えました。
玉島は大変興味深い町です。
今までは倉敷の陰に隠れていたのですが、
最近は観光地化されていない玉島を訪れる関西の人が
増えたそうです。
旅好きを引き付ける街ですね。
なので,なぜ玉島にお墓なのかはよくわからないのですが,瀬戸内の穏やかな港町ですよね。
個人的には,下津井電鉄があった頃の下津井港も大好きでしたが,玉島も好きな港になりました。
わたしなどよりはるかにご存じですね。
なぜ、玉島にお墓があるのか。
調べて見られてはどうでしょう。
岡山には、墓から家系をたどるホームページを
作っている人がいます。
下津井もよいところですね。
瀬戸大橋ができる前までは特によかったのですが
今はどうでしょう。
もう10年は行っていないように思います。